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参議院60周年記念論文入賞者



はっきり意見を言える日本

東京都 千代田区立神田一橋中学校 1年
岡部 達美

 私は、今年の4月、生まれて初めて、外国人の友だちが出来ました。韓国から、1年前、日本にやって来た、ユンさんです。私たちは、仲良しになって以来、ずっと、いろいろなことを話して来ました。
 しかし、先日、大変なことが起こってしまいました。歴史の教科書を開いて、友だちと話をしていた時です。
「日本の歴史って、何だか、朝鮮の人たちをいじめた歴史みたいね。」
「ああ、そうだね。秀吉、日清戦争、第二次世界大戦。日本は、ひどいことを、朝鮮の人たちにして来たんだね。」
私は、その場に、ユンさんがいることに、途中で気づきました。私は、ユンさんに、こんな話を聞かせたくなくて、他の場所に連れ出そうと思い、慌てて腕をつかみました。
「やめて、達美。どうして、意地悪するの。私だって、話に加わりたいよ。」
「でも、ユンがかわいそうだから。」
「私は、隠される方がいやだよ。日本と韓国には、悲しい出来事がいっぱいあった。確かに、韓国にいた時、教科書には、日本のよくない面がたくさん書いてあった。でもね。お父さんが言ったの。『日本と日本人を同じだと思うな。』って。」 「それ、どういうことだ。」
男の子たちが割り込んで来ました。
「日本は、韓国に悪いことをしたわ。でも、優しい日本人も、いっぱいいたことを忘れるなと、お父さんは言うのよ。」  私は、急に泣きたくなりました。周り中の友だちも、そうでした。私は、ユンさんの手を握って言いました。 「韓国と日本の教科書を比べてみようよ。」
「そうね。それは、面白いと思うわ。」
みんな意見が一致しました。それからというもの、両国の歴史の教科書が、友だちの間を行き来するようになりました。そして、わずか、数ヶ月の間に、ユンさんと私たちの距離は、どんどん縮まり、いい意味で議論が出来るようになったのでした。
 私は、その後も、ユンさんのお父さんがおっしゃった、「日本と日本人を同じだと思うな。」ということばが、気になっていました。そして、気づいたのです。これが、今までの日本の姿なのだと。日本の国と日本人は、同じ方向を向いているように見えても、実は、バラバラなのではないかと。しかも、日本と言う国に対して、マイナス・イメージを持っている国が、現実にあるのは、国の姿勢より、私たち国民の姿が問われているのではないかと。国民がほんとうの心、ほんとうの姿を出しきっていないから、日本という国が誤解をされて来たのではないかとも。
 しかし、私は、いまの日本が、好きです。こどもの教育のこと、建築の耐震強度の偽装、殺人事件等、いやな出来事が起こっても、私は、いまの日本を、尊敬しています。大切にしたいと思っています。それは、日本が悲惨な戦争を経験し、その上で、平和を、ずっと追求して来た国だからです。日本は、戦争を反省し、多くの被害にあわれた国々の発展に貢献して来たと思います。そんな強い反省、自省のできる日本を、私は尊敬しています。それなのに、日本に対する評価、特にアジア諸国の評価は、必ずしもよいものではありません。なぜなのでしょうか。
 地球上には、さまざまな民族が、います。彼らは、多様な言語を話し、多様な考え方をし、多様な宗教を信じ、それぞれ独特の生活をしています。彼らは、行動もさまざまで、時に、争い、戦うこともあります。しかし、誰一人、自分の考え方を偽り、隠して生きようとするものは、いないと思います。それに比べ、日本は、どうでしょうか。日本は、外交でも経済活動でも、あまりに周囲を気にしていないでしょうか。自分の要求や思いを100パーセントは、出そうとしていないように思えるのです。拉致問題でも、原爆のことでも、意見を世界にしっかり伝えていない部分があるのではないでしょうか。私には、ここが、日本に対するイメージと日本人のイメージが違う原因になっていると、思うのです。
 これからの日本は、隠すより伝える。議論を避けるより進める。そして、国籍を越え、人間的なつながりを深めるべきだと思います。そして、どんどんぶつかり合いながら、議論を深めて行くのが良いと思います。私は、このように考え、実行する日本が、紛争続きの地球を、二十一世紀は、平和で、さまざまな民族が、自由に生きられる星に変える要素になると、信じます。ぶつかり合っては、ほほえみ合える。そんな多くの友だちを、世界中に持つ。それが、私の愛する、将来の日本です。そして、そのためには、まず、私たちが、いつでも、自分の意見を、はっきりと伝えることが必要だと思うのです。