質問主意書

第164回国会(常会)

答弁書


答弁書第九号

内閣参質一六四第九号
  平成十八年二月十日
内閣総理大臣 小泉 純一郎   


       参議院議長 扇 千景 殿

参議院議員近藤正道君提出六ヶ所再処理工場回収プルトニウム利用計画に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。



   参議院議員近藤正道君提出六ヶ所再処理工場回収プルトニウム利用計画に関する質問に対する答弁書

一について

 原子力委員会においては、電気事業者が公表したプルトニウム利用計画及び平成十八年一月十日に原子力委員会で電気事業者が行ったプルサーマルの実施に向けた準備活動等についての説明を踏まえると、東京電力株式会社を含む電気事業者により明らかにされた平成十七年度及び平成十八年度に回収されるプルトニウムの利用目的は、「現時点の状況を適切に示しており、我が国におけるプルトニウム利用の透明性の向上の観点から妥当なものと考えます。」としており、御指摘は当たらないと考える。

二について

 「我が国におけるプルトニウム利用の基本的な考え方について」(平成十五年八月五日原子力委員会決定。以下「基本的考え方」という。)においては、電気事業者は、六ヶ所再処理工場において毎年度プルトニウムを分離する前にプルトニウム利用計画を公表することとし、海外で保管されているプルトニウムについては、海外でMOX燃料に加工される段階において、その利用計画を公表することとしている。原子力委員会がこのような基本的考え方に従ってプルトニウムの利用目的の妥当性を確認すれば足りると考える。

三の1及び2について

 利用目的のないプルトニウムを持たないという原則を堅持すれば、プルトニウムの「需給がバランス」することにもなると考えている。平成十七年十月十四日に「原子力政策に関する基本方針として尊重し、原子力の研究、開発及び利用を推進することとする。」旨の閣議決定がされた原子力政策大綱(平成十七年十月十一日原子力委員会決定)において、「利用目的のないプルトニウムを持たないという原則」を示しており、現在も御指摘の「余剰プルトニウムを持たない旨の宣言を堅持すること」に変更はない。この閣議決定に基づき、関係府省が適切に対応するものと考えている。

三の3について

 利用目的のないプルトニウムを持たないという原則を堅持すれば、プルトニウムの「需給がバランス」することにもなると考えているので、御指摘のように「保有量が何トン以上になれば需給のバランスが崩れる」というような考え方はしていない。

三の4について

 平成十七年度及び平成十八年度に六ヶ所再処理工場のアクティブ試験により回収されるプルトニウムの利用目的については、電気事業者が既に明らかにしており、「余剰プルトニウム」が生ずるとは考えていない。

三の5について

 御指摘の「計画遂行に必要な量以上のプルトニウム」と「利用目的のないプルトニウム」とは同趣旨であると考える。

三の6について

 御指摘の「余剰プルトニウム」と「利用目的のないプルトニウム」とは同趣旨であると考える。原子力政策大綱においては、原子力委員会新計画策定会議での審議を経て「利用目的のないプルトニウム」との表現を用いることとされたものである。

四の1について

 原子力委員会は、基本的考え方に従って、電気事業者により明らかにされた平成十七年度及び平成十八年度に回収されるプルトニウムの利用目的の妥当性の確認を行っている。

四の2について

 「相当期間」については、一概にお答えすることは困難である。また、御指摘の記述は、「余剰プルトニウムの存在を容認するもの」ではない。

四の3について

 原子力委員会が行うプルトニウムの利用目的の妥当性の確認は、プルトニウムの平和利用に係る透明性の向上の観点から行っているものであり、御指摘の「六ヶ所再処理工場の運転を中止するための措置」と関係するものではない。

四の4から6までについて

 「懸念される事態」とは、電気事業者が利用計画への影響が懸念されると判断する事態である。御指摘の「利用計画への影響が懸念される事態」が発生しながら、電気事業者が利用計画の見直しを行わなかった場合には、当該電気事業者に対し、プルトニウムの平和利用に係る透明性の向上の観点から基本的考え方を踏まえ利用計画の見直しを求めていくことになるものと考えている。電気事業者や再処理事業者による原子力利用が、「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として」行う等とする原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)の精神及び関係法令の規定に基づき行われている限りにおいて、基本的考え方に基づき行われるプルトニウムの利用目的の妥当性の確認との関係で、六ヶ所再処理工場の運転を中止するための措置をとるという事態に至ることはないものと考える。