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国際問題に関する調査会

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国際問題に関する調査報告(中間報告)(平成12年5月26日)

目次



審議経過

 本調査会は、第百四十三回国会の平成十年八月三十一日の本会議において、国際問題に関し長期的かつ総合的な調査を行うため設置された。
 本調査会においては、三年間にわたる調査活動のテーマを「二十一世紀における世界と日本-我が国の果たすべき役割-」と決定し、第一年目は、アジアの安全保障、国連の今日的役割、日本外交の在り方などについて調査を行った。
 第二年目は、理事会等における協議の結果、今期調査活動のテーマの下、具体的調査項目である「アジア及び世界の安全保障の確保」のうち、東アジアの安全保障(中国情勢・朝鮮半島情勢)を中心に引き続き調査を進めるとともに、「国連の今日的役割」については、国連改革と国連の機能強化、国連及び国連諸機関を通じた我が国の貢献、国連とNGOとの関係などについて、多角的観点から重点的に調査を行うこととした。
 西暦二〇〇〇年を迎えた本年九月には、国連においてミレニアム総会及びミレニアム・サミットが開催されることとなっている。また、八月末には、国連の協賛の下、IPU主催による世界議長会議の開催も予定されている。このような時機に、本調査会が国連についての知見を深め、我が国の国連政策及び二十一世紀を迎える国連の現状と課題について議論を深めることは極めて有意義なことであり、第二年目の調査は、「国連の今日的役割」について体系的な調査を行った。
 具体的には、国連をめぐる全般的問題をはじめ、主として、国連の理念、平和と安全の確保、経済・社会・文化分野での取組、国連財政及び国連機関の職員問題の四つに分けて、まず六名の参考人から意見を聴取し、質疑を行った。
 また、国連大学及び在京の国連三機関(ユニセフ駐日事務所、国連広報センター、UNDP東京事務所)を視察し、関係者と意見交換を行った。
 さらに、二十一世紀を迎える国連の将来と我が国の国連政策の在り方について、三名の参考人から意見を聴取し、質疑を行い、最後に、「国連の今日的役割」に関する第二年目の調査を踏まえ、各委員の意見表明を行った。
 アジアの安全保障については、第一年目は朝鮮半島情勢に比重を置いた調査を進めたので、第二年目は中国情勢について、二名の参考人から意見を聴取し、質疑を行った。
 なお、第百四十五回国会閉会後、東アジアにおける安全保障及び国連問題等に関する調査のため本調査会の理事を中心とした議員団が議院から米国及び大韓民国に派遣されたので、派遣議員からその報告を聴取し、委員間の意見交換を行った。
 以上を含む個別的な審議経過は、以下のとおりである。

 第百四十六回国会

○平成十一年十一月二十四日(水)
「二十一世紀における世界と日本」のうち、東アジアにおける安全保障及び国連問題等について海外派遣議員から報告を聴取し、委員間の意見の交換を行った。

 第百四十七回国会

○平成十二年二月十四日(月)
「国連による平和と安全の確保」について、功刀達朗参考人(国際基督教大学大学院教授)及び大泉敬子参考人(東京情報大学経営情報学部教授)から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成十二年二月二十一日(月)
「国連をめぐる全般的問題と我が国の貢献」について、小和田恆参考人(財団法人日本国際問題研究所理事長)から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成十二年二月二十三日(水)
「国連財政及び国連機関の職員問題」について、田所昌幸参考人(防衛大学校教授)及び伊勢桃代参考人(前国際連合人材管理局部長)から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成十二年三月一日(水)
「国連の経済・社会問題への取組」について、武者小路公秀参考人(フェリス女学院大学国際交流学部教授)から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成十二年三月八日(水)
国連大学及び在京の国連三機関(ユニセフ駐日事務所、国連広報センター、UNDP東京事務所)を視察し、ファン・ヒンケル国連大学学長をはじめ関係者と意見交換を行った。
○平成十二年四月十二日(水)
「中国情勢」について、中江要介参考人(元駐中国大使)及び国分良成参考人(慶應義塾大学法学部教授)から意見を聴取し、質疑を行った。
○平成十二年四月二十一日(金)
「二十一世紀を迎える国連の将来と我が国の国連政策の在り方」について、横田洋三参考人(東京大学大学院教授)、内田孟男参考人(中央大学経済学部教授)及び藤田久一参考人(神戸大学大学院教授)から、国連改革に向けた課題について意見を聴取し、質疑を行った。
○平成十二年五月十二日(金)
「国連の今日的役割」について、委員の意見表明を行った。

 なお、安全保障、国連問題など刻々と変化する国際問題の重要課題を扱う本調査会では、毎年の海外調査が大変有意義かつ不可欠であり、このことについては、本調査会の理事会等で各会派間の意見の一致をみている。委員の意見表明の中でも、毎年の海外派遣を実現していただきたい旨の強い要望が改めて表明されたことをここに付記しておく。

調査概要

一 国連の今日的役割

1 国連の現状と課題

(一)参考人の意見の要旨

(1)国連をめぐる全般的問題と我が国の貢献
○小和田 恆(財団法人日本国際問題研究所理事長)
(国連の特質)

 国連は冷戦構造崩壊後非常に変わったし、また現に変わる途中にある、非常に過渡期の段階にある。歴史的には、国連という国際機構が今日の国際社会の中の統治機構の一つとして非常に大きな地位を占めるようになった背景として、二つの流れがある。
 一つは、国際の平和と安全を確保するために国際社会がどういう機構づくりをしなければならないかという見地から出てきた流れであり、いわば平和確保の主体としての国連である。
 もう一つの柱は、経済社会分野での国際秩序をどうつくるか、また、そのような国際協力の中核となる仕組みが必要であるという動きである。
 この二つの流れは、国連を考えるときに念頭に置く必要がある。国連は、五大国の協力が世界秩序維持の中核となるが、発足から数年を経ずして冷戦が始まり、五大国の協調が壊れた。その結果、平和確保の主体としての国連の役割は非常に弱くなり、世界の平和の確保という見地からすると非常に端に追いやられてしまった。

(国連の変容)

 他方、国際協力の中核としての国連、なかんずく経済社会分野での秩序を形成するという側面は、戦後の植民地だった国々の独立の問題が南北問題という形であらわれ、必ずしも思うように進まないという状況が続いた。東西対立の枠組みと南北対立の枠組みが組み合わされた形で冷戦時代の国連は推移したのである。
 ところが、冷戦構造が終わると、東西対立の軸は完全になくなり、同時に、南北対立の軸も、かつてのようなイデオロギー対立の軸ではなくなってきている。今までのように対立と抗争ではなく、むしろ協調と協力によって経済社会開発の問題を進めていかなければならないという意識が、国際社会全体、国連全体に行き渡るようになってきている。また、環境問題、人権問題、エイズ問題、難民問題等、経済社会分野における相互依存関係が非常に発達した結果として、協調して世界全体の共通の問題に対処しなければならないという社会意識が世界的規模で起きている。冷戦後の今日の国連においては、経済社会分野での国際秩序形成機能の側面が非常に強く出てきている。
 その意味から国連の変化を考えると、四つの要因を挙げることができる。
 第一は、設立当初に比べて四倍近い加盟国の拡大があり、これが単なる量的な拡大だけではなく、メンバーシップにおける質的な変化も国連の活動内容に大変大きな影響を与えてきている。第二は、相互依存関係の増大に基づき、国際協力の中核としての国連の活動領域が非常に広がっている。第三は、平和の確保が国連の一つの大きな任務であるが、紛争の性格が非常に変わってきている。第四は、そういうプロセスの中で、国連が政策決定において果たしている役割に変化が出てきている。安全保障理事会が単に武力で制裁を加えるという古典的な機能から、それを超えてより広く平和の問題、安全の問題を考え、それにより永続する平和をその地域、その社会の中にどうつくり出していくのかが非常に大きな問題になっている。

(国連の直面する課題)

 世界各地の地域紛争に対して、今最も有効な手段はPKOである。当初のPKOは、基本的に停戦合意を実現させ、停戦合意をモニターし、それを確実にしていく軍事的な役割が与えられていたのに対し、最近のPKOは、総合的な平和創造の役割が平和維持活動の中に入ってきている。この点からも、安全保障理事会の果たす役割は非常に大きくなってきている。
 政策決定機能における変化としては、市民社会が、様々な形で政策決定のプロセスに働きかけている。市民社会の関与が、政策決定のプロセスに影響を与えることはあり得る。政策決定機能に対する市民社会の関与が、間接的ではあるが、国際協力の中核としての国連が役割を果たしていく上で非常に大きくなってきている。
 日本の視点から見た国連の直面する三つの課題であるが、第一は、平和確保の機能を冷戦後の国際政治構造の中でどう強化していくかという問題である。具体的には、安保理が実効的に機能し得るかという、イフェクティブネスの問題である。武力によって抑え込めば紛争がなくなるというわけではなく、もっと根源的な社会構造の問題、宗教の問題、経済秩序の問題に踏み込んでいかなければならない。経済力、道義的な力、宗教的な役割等を総合して、それらに貢献し得る国々が集まって安全保障理事会の役割を高めていくことが非常に重要になってくる。安保理の実効性と正統性をいかにして強化するかが国連に課せられた非常に大きな課題である。
 PKOも、第一世代のPKOと呼ばれる単に停戦を軍事的に監視するといった単純なものではなく、より総合的、社会的、経済的な分野をも含めた広い意味での国づくりの基礎をつくるという平和維持活動が拡大している。これをどれだけ強化していくのか、また日本としてどういう形で協力するのかが非常に大きな問題になってくる。
 第二は経済社会分野への対応である。開発問題は冷戦後の世界の中で一番大きな問題になっている。途上国側も、米ソ対立に頼らず、自分たちの国づくりを本気で考えなければならないという新しい機運が生まれている。開発問題に本気で取り組むということが非常に重要になってきている。
 世界銀行が総合的開発枠組みを提唱しているが、これは日本の提唱してきた新しい開発戦略と基本的に同じものである。そういう方向に世の中が動きつつある中で、国連が成功するかどうかが国連にとって非常に大きな問題であり、それに対して日本が積極的にイニシアチブをとることが非常に重要である。
 国際社会の公益をどのように伸ばしていくのかということが、今日、国連に課せられている課題の中で非常に大きな問題になってきている。環境、人道・人権問題、民主主義体制による良き統治の実現に日本がどう貢献するのかが、日本の視点から大変重要な問題になってきている。
 最後は、国連における行財政改革の問題である。
 まず、分担率は、各国のGNPの大きさによって決めることが大原則であり、日本の分担率がGNPに比例して大きくなるのは必然的なことである。しかも、分担金は義務的経費として払わなければならない。米国の分担金の滞納は、米国の国連外交にとって大きなハンディキャップになっている。日本は、公正な分担とその分担に応じた責任をリンクする形で主張していくことが非常に重要である。
 邦人職員の問題についても、基本的に能力に応じて採用されるが、分担金の多い国は職員数も多くてよいということになっている。その意味で、日本人の職員数、特に幹部職員は、非常に不十分であり、日本がもっと努力をしていかなければならない問題である。
 ただ、日本人を採らないという政策があって日本人が採られていないのではなく、国連として採りたいという人材、特に幹部職員の応募がないことが非常に大きな障害になっており、日本側において解決することが非常に重要な問題である。

(2)国連による平和と安全の確保
○功刀 達朗(国際基督教大学大学院教授)
国連の今日的役割-平和・安全保障
(はじめに)

 今日まで、大国の横暴により国連の本来の目的が十分に達成できないという残念な歴史が繰り返されてきた。二十一世紀を迎えるに際し、国連及び国連を中心とした国連システムを根本的に見直すというムードがやや高まりつつある。
 湾岸戦争、旧ユーゴをめぐる国際・国内紛争、コソボ問題、東ティモール、チェチェン問題において、国連は果たすべき役割を十分に果たせず、国連の権威失墜と言える。このような状況における国連システムの見直しについて、現代世界の乱気流は過渡期の現象であり、民意の時代への趨勢が大きなうねりとしてあるので、全体としては楽観してよい。ただし、傍観していてよいわけではなく、国連を新しく創造し、どのように管理運営していくかは、我々の能動的な活動にかかっている。
 最近明確になってきたことは、世界の大きな問題として、平和、人権、開発、環境という四つの大きな問題群があり、互いに関連しているということである。これらはグローバルな問題であり、包括的かつ地球規模で対処する必要がある。これが現状認識として国連を考える第一の前提として重要ではないか。
 時代の要請にこたえる形で出てきた人間の安全保障という考え方は、これからの国連を中心とする世界の地球規模での努力を考えるときに重要な指針となるものである。

(人間の安全保障)

 多層的な平和構築、平和維持、管理・運営の指針として、人間の安全保障には三つの柱があり、政策間の総合性と実効性が求められている。第一の柱は、国家レベルでの安全保障が依然重要であると再認識することである。第二の柱は、人間レベルでの安全保障である。これは、個人と集団、市民団体の権利と責務であり、新世紀に入るに際して、権利の裏にある責務を重要視する必要が出てくる。第三の柱は、地球の安全保障であり、持続的開発の条件と世代間正義の二つの視点が盛り込まれている。

(国連の中枢的役割-新しい可能性と条件)

 人間安全保障に基づき国連が中枢的役割を果たす可能性が生まれているが、そのためには条件がある。従来の平和のための政治機構としての国連と、持続的開発と国際公共財の管理運営のための国連システムの二つは分けて考える必要がある。両者は有機的に連携していかなければならないが、国連はあくまでも政治機構としての国際の平和と安全に最重点がある。
 平和のための政治機構としての国連については、[1]従来の五大国を中心とした集団的な危機管理体制に限界が見えていること、[2]PKO三原則の一部修正が必要となってきていること、ブルーヘルメットとホワイトヘルメットの共同作業ということで緊急対応部隊などを考えること、PKO原則の修正として平和執行が出てきていること、[3]紛争予防が重要視されていること、[4]人道的介入は望ましい方向であり、そのための原理、原則をつくっていくこと、[5]地域機構を頼ることもやむを得ないが、コソボ爆撃のような国連憲章に反した行動が繰り返されないような措置が講じられること、以上が条件としてある。
 持続的開発と国際公共財の管理運営のための国連システムについては、[1]人口、資源、環境、開発のPREDリンケージに注目し、地球的な規模で限られた資源をどのように使用し、その利益を世界の人々に均てんしていくかについて、国連が中枢的な役割を果たす分野になっている。[2]教育、文化、科学技術、情報等のソフト分野の問題が国連機関において、より多く取り上げられる必要が出てきている。

(市民社会と国連の民主化)

 九二年の地球サミット以来の一連の国連会議は、予期した成果が十分に上がっていないという認識が一般に強く、その理由は、市民社会と国連の民主化という問題にある。市民社会の協力、国連自体の民主化を十分に取り上げ、改革を施さないでいる限り、従来のような加盟国政府を中心とした国連の管理・運営の仕方では大きな限界がある。
 国連はすでに行動主体としての役割を十分に果たしているが、国連を動かしている主役である政府代表には、国連は政府の意思を離れて一切存在しないという意識がいまだに非常に強い。しかし、その新しい段階をはっきりと認め、政府が国益を追求する場であるという認識を超え、国連を通じて国際社会全体の公益を追求するという機構に変えていく。政府だけではない多くの行為主体の協力関係によるパートナーシップによりグローバルなガバナンスの中心へと移行する時期に入っている。その正統性と実効性は、人々の関心の高まりと、インターネットの普及により、時空を超えて人類の問題に向かい合う市民社会を基盤に新しい国連を構築する可能性にある。国連と市民社会のパートナーシップは殊に重要であり、従来のような、事業活動におけるパートナーシップだけではなく、政策の立案と政策の決定についての戦略的なパートナーになることが非常に重要である。具体的には、近い将来に憲章第二十二条の下でインターネット活用による総意の形成のための第二総会を設立することが望ましい。
 地球公共財については、グローバル・コモンズという物理的なものと普遍的な価値のグローバル・パブリック・グッズの両方を含む地球公共財の信託統治を行う理事会をつくり、政府代表に加え、市民社会の多くのアクターがそこに参画するという信託統治理事会がつくられることが非常に大きな進歩を遂げるきっかけとなる。

○大泉 敬子(東京情報大学経営情報学部教授)
国連PKOの現状と課題
(PKOの変遷-第一世代~第三世代)

 これまで五十三のPKOがあったが、変遷しており、概念の再整理が必要なのではないか。これは二十一世紀の国連の展望のためでもあり、これからの日本の参加についての展望にもつながる重要な作業である。
 冷戦時代、冷戦が終結する八八から八九年、冷戦後の九〇年代以降と区切って考えるとPKOの変遷が見えてくる。ここで重要なことは、第一世代、第二世代、第三世代というものがあり、大きな質的変化、量的増大があることである。
 冷戦中のPKOは、国連憲章の本来の集団安全保障はできないが、局地的な紛争が世界紛争に拡大するのを阻止すべき状況において、すべての関係国が集団安全保障にかわって受け入れられるものとして、つくり出された新しい活動であった。これは停戦・休戦後の武力行使が停止した状況の凍結が目的であり、紛争解決のための暫定的なものである。また、伝統的な原則である[1]当事者の同意、[2]活動の公正、[3]自衛以外の武力不行使が求められ、あくまで非強制のものとしてのPKOであり、第一世代のPKOである。
 冷戦が終結に向かう時期、冷戦終結後には第二世代、第三世代のPKOができた。この時期になると国家間紛争にかわって内戦が増えた。それに関与する手段のない国連が、それまでにあったPKOを出すことになったが、その中身は当然変わり、紛争終結のための政治的合意の実施を支援する意味合いを持つものとして第二世代のPKOがつくられた。このPKOは、あくまでも憲章第六章の紛争の平和的な解決というものを限りなく求めつつ、軍人、部隊等を派遣するもので、六章半的と言われる。これは大変成功した。
 問題なのは第三世代のPKOである。政治的合意のない内戦に対して人道的介入をし、活動の妨害に対して武力を行使する等の平和強制型のPKOが国連憲章第七章の下に出された。これは多機能化しただけではなくて、活動原則も変わってきた。
 第二と第三の間に、多国籍軍等の介入により治安維持できる状況にした後、政治的合意をし、そこに多機能型のPKOを出す形もできてきた。このように多くの形が出てきたために、PKOの概念が混乱させられている。

(これまでのPKOから学ぶこと)

 PKOの機能は多面化しているが、基本的には伝統的な三つの原則によって立つ六章半的なPKOをずっと守っていかなければならないのではないか。こう考える理由は、世界政府ではない第三者的機関である国連が持つ正統性、信頼性が今だからこそ重要視されているからである。第一世代は、活動の長期化という問題はあるが、大きなメリットがあり、評価できる。第二世代は、政治的な合意があり、それを実施する活動をPKOが強制しない形で、三つの原則を貫いて行うもので大変に意味のある有効なやり方である。この第二世代は国連の正統性、信頼性、第三者機関としての中立的な役割、それを大変発揮できる有効な場面である。第三世代になって何が分かったか。カオスの中で、国連が有効に活動できるのかという問題が最初にある。人道的介入の必要性を排除しないが、PKOを出す場合の前提は、あくまでも根本的な紛争の解決が見えていることであり、現地の当事者たちの紛争解決の意思が明白であることである。また、国連は当事者になるのではなく、あくまでも第三者的な立場にいるべきであるということも事例から分かってきている。その意味で、第三世代の七章下のPKOには問題がある。したがって、三原則が我々に語るメッセージというのは非常に大きいのではないか。

(今後の国連平和維持活動の課題と展望)

 今後の展望について、[1]伝統的なPKOと七章の強制行動を混在させるべきではなく、七章の下でのPKOをつくらないということが大変重要なのではないか。また、安全保障理事会のP5を中心にした国々や我々が支持できるものということを踏まえた上で、PKOを出すべきである。[2]人道的な介入や強制力を持つ活動については、地域機構等と協力分担関係を持ち、それによりある種の政治的合意がなされたときに三原則によって多機能型のPKOが出ていくことが重要になってくるのではないか。つまり、地域機構等を含み込んだ形で国連がマネジメントし、役割分担することが大変重要なのではないか。[3]二世代型の包括的な活動をPKOとして行うことは有効である。専門機関や地域機関等を国連が中心になって有機的に関連づけながらその活動を総合的に行っていくという総合的な安全保障をやるべきではないか。[4]軍人、部隊だけではなく警察、文民あるいはNGOのような様々なアクターを混合させた形でのPKOが有効である。[5]協力国の中心に余り大国を据えない方がよい。国連の国際性、信頼性、正統性を考えるとこの点は非常に重要な論点になってくる。[6]迅速な展開のためにスタンドバイ・アレンジメント、待機制度のようなものも整備していく必要がある。通信、運輸、医療等を担う特殊な部隊で、日本などが貢献できる可能性はたくさんある。[7]国際刑事裁判所のように、司法のレベルで少なくとも人道に反する罪のようなものを裁くということも大きな平和の枠組みの中に入れ込むべきである。[8]すべてをPKOとしてくくらずに、PKOを限定しつつ、その他のものをバラエティーを持たせて国連のピースオペレーションズ(平和活動)を再構築していく必要がある。また、PKO局ではなくピースオペレーションズ・デパートメントを国連の事務局の中につくり、その中で国連が様々な資源、アクターを使い国連の安全保障をマネジメントしていくことが重要になってくるのではないか。その中で日本が果たすことのできる役割というのは多く出てくる。

(3)経済・社会問題への取組
○武者小路 公秀(フェリス女学院大学国際交流学部教授)
国連の今日的役割-経済・社会・文化
(はじめに)

 経済社会理事会の役割と経済社会理事会が扱う経済的及び社会的国際協力についての国連の現状、そこで出てくる問題について意見を述べる。
 第一点は、経済問題を中心に国連で非常に激しい論争が行われている中で、日本としては現在のグローバル経済のネオリベラル的な傾向に何らかの規制をかける動きを支える必要があるのではないかということである。
 第二点は、これまでも日本がやってきたことではあるが、経済、社会、文化問題についていろいろな経済協力を国連を通じて強化する場合の原則をはっきりさせることである。
 第三点は、人権の文化を二十一世紀に創造することが一つのねらいにはなっているが、アジアでは人権の普遍性に対する疑問の声もあがっているので、文化的な問題について人権の問題を中心とする対話をいろいろな国の間で起こす必要があるのではないかということである。

(国連の経済・社会・文化システム)

 国連が経済、社会、文化の問題を取り上げるとき、参加しているいろいろな機関の間の関係を考える必要があるが、国連だけで何かをすることはできない。国連は国家によってつくられた機関なので、国家間のシステムが国連のいわば上の方にある。
 近ごろ注目されているNGOを構成している国際市民社会がある。私はそれに加えて、底辺社会があるということを強調したい。アフリカでは四〇%~六〇%の人たちが底辺社会に入っていると考える必要がある。底辺社会に対する国連活動が経済社会理事会の中で非常に大きな役割を占めている。
 国連は二つの大きな仕事をしていると言われている。一つは、コンセンサス形成の機能である。加盟国の間で決議をしたり条約を結ぶなどの形でコンセンサスを形成するのに国連が寄与する役割である。
 もう一つは、サービスの提供である。グローバル・ガバナンスでグローバルな問題(環境問題、貧困の問題等)を解決、対処していくサービスの機能である。

(ポスト冷戦、グローバル時代のコンセンサス形成の危機、ガバナンスの危機)

 一般的に、コンセンサスを形成する方が平和とか安全の問題で、経社理で扱っている問題はサービスの提供、援助が中心であるとみなされがちであるが、元国連職員ベルトランのようにこれを否定する意見がある。彼は、経済・社会問題についてもコンセンサスビルディングの方が大事なのだと言っている。ベルトランがこれを言ったのには、国連がサービスを提供することで貧困を撲滅すればよいという考え方の人が先進国におり、途上国の人たちはそれを期待して、余りコンセンサスビルディングに注目していないことがある。
 国連のホームページに、NGOによる世界貿易機関(WTO)のシアトルにおける混乱は国連貿易開発会議(UNCTAD)の存在意義を高めたと出ていた。すなわち、自由貿易を最後まで規制撤廃してやらせようとしているWTOに対し、UNCTAD10が二月にバンコクで開かれた。UNCTADは国連の機関であるが、七〇年代後半からほとんど機能停止となった。しかし、WTOが自由貿易主義一本やりのため、第三世界の国々が抵抗して、UNCTADがまた急浮上した。こういう形で、片やWTO、片やUNCTAD及び市民の運動が張り合っている。
 日本にも自由貿易万歳という考え方と、規制を全然しないでおけばいいというのはいいかげんだという考え方との両方がある。私は、日本は自由貿易万歳でない立場をとることが、日本の経済的な窮状の中で苦労している方々のためにも、経済協力の相手になっている方々の貧困を撲滅する意味でも必要ではなかろうかと思う。
 賃金支払の有無にかかわらず、仕事(ワーク)をすることが人間の大きな役割である。問題は、ディーセントな仕事ができないような世の中は何とかしてもらわないといけないということである。
 本来のグローバルスタンダードは、私たちがつくるべきものである。そしてそれは国連でつくられるグローバルスタンダードである。ホアン・ソマビア国際労働機関(ILO)事務局長は、最低限のまともな仕事があるようなスタンダードをつくらないで、競争、競争と言ってグローバルスタンダードで仕事の質が悪くなることは困るという主張をしている。

(日本の国連外交の課題)

 そこで、まず、第一点として提案したいことは、国連の社会・経済問題について、まともな仕事ができるような経済状態をつくってもらいたいということを日本が、ILO、国連全体の議論、人権委員会で主張することである。
 日本は既に世界銀行、国際通貨基金(IMF)、WTOの大株主であるから、大きな発言権を持っているので、第三世界の国々も日本を支持する。日本が安全保障理事会の常任理事国になりたいのであれば、第三世界の票も大事にする方がよいのではないか。
 グローバルスタンダードを確立することについて日本の貢献が期待される。榊原氏がアジアの通貨基金を提案したが、あれができていれば金融危機も大分和らげられたであろう。
 第二点は、サービスを提供する方の問題である。日本は社会・経済問題についてのいろいろな経済協力をする場合に、かなりよいことを言ってきたと思う。一月の河野外務大臣の外交演説では、人間の安全保障が一つのテーマとして出された。人間の安全保障のために経済援助、技術協力をしていくのはよいことだと思う。安全は相互の安全保障でお互いの安全を守るようにしてもらうことが大事ではないかと思う。
 国連の人間の安全保障ということで、日本は人権のための技術協力の基金へお金を相当額拠出しているが、もう少し広げて考えていく必要がある。すなわち、世界的に人権のために金を出す国は非常に少ないので、人権問題を含めてもっと手厚く人間の安全のための技術協力をしていただけると有り難い。紛争後、平和な生活に戻ることを考えるとき、人権は破られており、警官や兵士の人権教育のような人権政策への技術協力は、平和構築の大きな役割になるのではないか。日本だけが金を出すのではなく、日本が言い出しっぺになって、人権のための技術協力をもっと大事にしようということを言っていただくことが非常に大事なことではないかと思う。
 第三点として、日本は先進工業諸国の中でアジアの国であるということでかなりの苦労をしてきた。ある意味ではほかの非西欧諸国の苦労も分かるのではないかと思う。その意味で、欧米はかなり強引に人権の普遍性ということを主張して、人権を守らない国には経済援助を行わないという制裁を加えるところがある。
 日本外交の中で、アメリカのまねをしなくてよかったと思うのは、人権問題を頭ごなしに守らないのはいけないとは言わないことである。もう少し柔らかく人権のための技術協力とかの形で徐々に人権が守られるようにしていくという知恵はよいのではないか。
 そこで文明の問題が出てくるが、日本に国連大学を誘致された方々は、文明間の衝突が出てくることを予知して、その衝突を対話で防止する場所として日本に本部を置くことを希望したと思うが、とても大事ではないかと思う。
 最後に、日本は先進国であることをやめるのではなく、先進国以外のアジアの国々の立場、考え方を受けとめて、対話の可能性をつくる国連大学やユネスコを支持し、政治経済だけではなくて一味違った文化についての日本の特色のある国連外交を展開していただければ有り難いと思う。

(4)国連財政及び国連機関の職員問題
○田所 昌幸(防衛大学校教授)
国連改革と国連予算
(国連財政の概要)

 第一に、国連は超国家機関ではないので、国の財政と同じような感じで国連財政を理解しようとすると、誤った結論が出るのではないか。国連の予算に関して最終的に責任を持っているのは、国連の事務局ではなくて各加盟国である。
 第二に、国連の予算は、絶対額はそれほど大きくなく、通常予算は大体現在で十三億ドル程度と言われている。これは世界のGNP(大体三十兆ドル程度)の〇・〇一%にも満たないぐらいの大変少ない額である。
 国連予算は複雑で、通常予算以外にも、PKO予算は別枠で、それ以外に予算外資金というカテゴリーもある。全体が幾らなのかは必ずしも判然としない部分があるが、百八十億ドル程度というのが国連事務局が出している数字である。この額は、日本のGNPは大体五兆億ドル程度であり、決して絶対額として大騒ぎするほどの金額ではない。
 第三に、国連の予算制度は随分複雑な構造をしている理由は、新しいニーズに応じて次々に制度ができたので、予算制度もそれに応じて進化していかざるを得なかったことである。
 例えば、PKOは国連発足当時には予定されていなかったので、憲章に規定がない。PKO予算はいろいろな分担方式があり、一部の小規模なPKOは通常予算から支弁されている。あるいは特別のPKO予算をミッションごとにつくってPKO予算を支弁している。
 予算外資金は、経済開発、社会問題にかかわる活動を支えるための資金で、北の豊かな国々の自発的拠出によって開発問題や社会問題に関する予算を支弁しているプログラムである。その太宗は、技術援助であり恐らく通常予算よりも予算額は大きいであろうと思われる。
 最後に、専門機関、総会補助機関といった様々な国連に関連する機関が多数あるが、これはすべて別の管理理事会があり予算は事実上別建てということになっている。国連システム全体の予算制度は大変統一性のない複雑な構造をしているということをここで申し上げたい。

(国連の財政危機)

 国連予算が慢性的な財政危機にある最大の理由は、米国が分担金をきちんと支払っていないことに尽きる。米国は通常予算の二五%を分担することになっている最大の分担拠出国であり、米国が滞納すると国連が受ける影響は大変甚大なものがある。
 次に、九〇年代の前半にはPKOが急増したためこれに伴う予算が急増したが、それに対して各国の支払が追いつかなかったことも国連の財政危機の大きな背景となった。その後、国連本部事務局の改革や、PKO活動の縮小で、この問題は峠を越した感じがする。

(現在の課題)

 通常予算は二年サイクルでつくられるが、予算額はここ七、八年絶対額としてはむしろ漸減傾向にある。
 通常予算は国連憲章上は総会の三分の二以上の決議によって成立するが、八〇年代以降は事実上国連の予算はコンセンサス方式で決定するという慣行が確立しているので、米国がイエスと言わない予算は通らない仕組みになっており、今後通常予算が急速に膨張することは多分ない。
 PKO予算も、PKOの活動自身にいろいろな問題点が出てきているので今後急膨張することはいささか考えにくい。
 今後の展望を占う上で最大の問題は米国の動向である。米国が分担金を払っていない最大の理由は、米議会が国連に対して厳しい姿勢をとっているということである。米国議会は支払に様々な条件をつけている。議会が内向きな態度になっている理由は、冷戦後、米国が全般的に内向きの姿勢になっていることが背景になっている。
 また、七〇年代ぐらいから国連が米国にとって扱いにくい存在になったという思いが米国の識者の中には強い。さらに、行政府が議会を必死になって説得したわけでもない。米国政府は支払の条件として国連改革を再三言っているが、基本的な改革は結局事務局の努力だけではできないことが多く、安保理の改革についても容易に進むことではない。加盟国が予算問題も含めて改革に本気になりまたコンセンサスが形成されないと大がかりな改革は難しいと思われる。

(日本との関連)

 日本の通常予算の分担金は現在二〇%であるが、新たな分担率が適用される二〇〇一年からは、二〇%を超えることになる。現在の日本の分担比率についてはいろいろな議論ができようが、額としてはそれほど途方もなく大きな額ではない。分担金は義務的支払であり、特定の案件と結びつけて支払を拒否するというような米国のようなことをやって日本の国益になるとは到底思えない。
 むしろ、日本の場合、財政的貢献が余り評価されない一つの背景になっているのは、日本の予算年度が四月から始まる関係で支払が若干遅れることである。対外イメージとしては好ましくない。さっさと時宜を得た支払をして日本の貢献をアピールするというようなことの方がむしろ国益にとってプラスではないか。
 PKO関連の分担金に関しては、PKOのミッションのスタートを決めるのが事実上安全保障理事会なので、常任理事国が特段の負担をするということは当然なことであるという主張を日本は国際社会で大きな声でしてもよいのではないか。
 予算問題で、潜在的に大きな問題は、予算外資金の自発的拠出部分である。これは予算の額としては一番であり、日本の自発的拠出も大変な額に上っている。安全保障分野に関しては、現在日本の国内でも様々な意見があり、国会でも各会派立場の分かれるところであるが、社会問題や経済開発問題に関してはコンセンサスのある分野ではないか。日本が大口の拠出国であるということを「てこ」に何らかの大きなリーダーシップを発揮できるとすると、この分野で何かができる余地が非常に大きいと考えている。

○伊勢 桃代(前国際連合人材管理局部長)
国連改革と人事
(人事政策)

 国連の人事政策は国連憲章に沿ったものになっている。国際公務員制度が今のような形で確立されたのは、一九〇五年の国際農業機構からであると言われている。
 USG、ASG、D2、D1、P5、P4、P3、P2、P1というのは国連の専門職員の名称である。USGとはいわゆる事務次長であるが、USG、ASGは既に国際連盟の時代から政治的に任命されることになっている。管理職は、P5が課長職であり、それから部長職で、D1、D2になる。基本的には下からの昇進であるが、近年、そのD1、D2も非常に政治的な色彩が強い採用になってきた。
 機構は、すべて局、部、課と分かれているので、課長、部長、そして局長が事務次長のレベルになるということである。

(採用方法)

 採用方法については、国連事務局は、大体三十二歳ぐらい(P1、P2)までは試験制度である。日本ではほとんど毎年行っている。試験制度は国別で、その国で候補者を募り、筆記試験、面接試験等を行い、非常に公平な立場で国連の内部で委員会をつくり、試験にパスした人をいろいろな国の候補者とまぜて、採用に持っていく方法をとっている。上位は試験制度ではなく、空席をすべて公告することが義務づけられている。この空席の公告は、国連代表部百八十八か国にこれを伝え、そこから各国に発信される。最近は、インターネットでもある程度は出ている。空席公告に沿って個人応募できることになっている。内部に委員会制度があり、ここで外部採用か、又は内部昇進かが討議されて決まる。

(人事権限)

 人事決定に関する権限と分担は、非常に複雑である。国連本部はニューヨークにあり、世界の五か所に経済社会委員会があるが、そこの一番上には相当な権限が渡されている。したがって、中央人事はニューヨークが主体となっている。
 日本に関係して特に問題なのは、コミュニケーションの問題、経営能力の問題がある。国連の中にはあらゆる職業、職種があるが、国連の採用の基本は専門職を入れるということである。

(国連人事の問題点)

 次に、国連人事の問題点であるが、地理分布の問題がある。この地理分布は、GDPパーキャピタの収入を基本とする分担金によって望ましい職員数の範囲を決めるのであるが、非常に複雑である。地理分布をしていくと国連側では非常に能力のある候補者がいても雇用できないということが今頻繁に出ている。
 国連も創設以来、中立的な立場をとる人たちを確保したいということで終身雇用できたが、いろいろな問題が出てきており、いまだ国連の人事政策として解決していない。また、米国からの強力な縮小圧力もあり、終身雇用が減ってきている。この点でも国連としての確とした立場をとるべきという感じがする。
 採用に関しては、能力一筋でいくことが非常に難しい。高い地位になればなるほど非常に難しい。採用方法については、国連はポストで行っているが、むしろ国連に一括にして、その中からいわゆる専門ゼネラリストをつくっていく方がいいのではないかとの問題がある。

(給料の問題)

 給料については、一九二一年にノーブルメヤー委員会が一番最高の国家公務員給料制度を基盤にして、その上ということで決まったが、現在は米国を基盤にしている。
 国連自体が、総合的な人事政策に欠けているので、非常に昇進制度に影響している。総合的人事政策については、いまだに総会でこの結論が出ていない。

(国連人事と日本)

 全体に国際機関に占める日本人職員数というのは少ない。しかし、百人を超えている国というのは、百八十八か国のうちわずか五か国である。また、課長以上のレベルでは日本は異常に少ない。P4を超えると課長級であるが、絶対数が減るので、この政策決定にかかわるレベルに達するのが非常に難しい。日本人職員は百六人であるが、日本の分担金からすると二百九十四人が中間数である。国連の人事政策を総体的にもっとしっかりさせることが、非常に大事だと思う。日本側にも問題がある。まず、専門職とコミュニケーションの二つは、国連に働く以上は必須のものである。日本の英語教育を早急に何とかしないと、本当に大変なことになると思う。それから、管理職人材の不足の点で、日本は非常に問題視されている国の一つである。
 日本の若手職員を引き上げるには、人事政策をしっかりして昇進制度を行う、上位にも日本人が参画をして、政策決定にかかわる、政府と一緒になって国連の仕事に協力するということは非常に大事なことだと思うが、上に入る人材が少ない。給与が低いからである。給与の補足は、憲章違反なので、ここでまた日本が苦労する。
 国連は財政上苦しくても新規の職員は採用するのが総会の決議であり、P2、3の雇用は続けていく。次は、その処遇である。これは国連の責任ではあるが、うまくいっていないので、こういう人事政策に日本政府も参画して、活動していただきたいと思う。
 日本は内部を見て調整をするので、外で発言ができなくなっているのではないか。加えて、日本はコミュニケーションをしない国ということは、明らかなので、政府もいろいろな発言を行い、どんどん立場を確立していただきたい。

(二)主な論議

(1)国連の在り方と我が国の国連外交をめぐる論議

 国連の役割における限界をいかに克服すべきかについて、委員から、参考人の見解が求められた。これに対し、参考人からは、国連の役割に大きな限界があることは事実であるが、平和維持、環境、難民、エイズ等の様々な分野において、国連がこれまで果たしてきた役割は大きく、今後も、世界をより平和で豊かなものにするためにやれること、それに日本が協力できることは多いとの見解が示された。
 我が国の国連外交に関して、委員から、国連の運営全般における米国の国益追求についての疑問が示され、米国の国益に合わない国連は意味がないとの考えが米国内で生じているのは問題であるとの意見が述べられた。これに対し、参考人からは、国連を強化し国連に協力することが長期的に考えて米国にとって重要であるという認識を米国国民に持ってもらうことが必要であり、世界の中で米国が果たさなければならない役割について米国の友邦国としてもっと意見を言う必要があり、それと同時に、米国の活動に同調できることは他の国も一緒に努力し協力することが必要であるとの意見が述べられた。また、委員から、我が国は、日米基軸、アジア中心、国連中心主義という従来からの三原則で外交を進めることがなかなか難しくなってきており、米国の国連回帰を促すことが必要であるとの意見が示された。これに対し、参考人は、日米基軸と国連中心の間に矛盾が出てきており、三つの原則に何とか折り合いをつけることができれば、日本外交は世界から信頼されるようになるとの所見を示し、特に日米関係については、市民レベル・議員レベルを基軸にした協力を進めることによって、日本の考えを随分主張できるようになるとの意見を述べた。
 委員から、市民社会とのパートナーシップによって、地球益・公共善を追求するという新たな段階での国連外交において、日本の外交政策にいかなる転換が必要か意見が求められた。これに対して、参考人は、日本の国連政策は、国連を通じて国益を追求するという従来からの態度は変わっておらず、経済大国となり貢献能力があってもリーダーとして歓迎されない理由は、自己利益追求型の国連参加というイメージを加盟国に持たれているためであると指摘し、日本として何ができるかということの前に、アイデアを提案し、賛同する諸国を集め、それを推し進めていく知的貢献が重要であり、主体性を持った発言をすることが必要であるとの意見を述べた。
 また、委員から、日本が国際社会や国連の中で持つべき基本的価値観はアジアの価値観であるとの意見が述べられたのに対し、参考人からは、アジア的価値観が西欧の価値観と対抗するという見方は余りに一般化された議論であり、共通の普遍性があるものを共通の価値観のベースに据えてこそ、国連における共通の価値観に基づいた公益の追求が可能になるとの所見が示された。
 議員外交に関して、委員から、国連におけるロビー活動は重要であり、国会議員がロビー活動に参加することも価値があるとの意見が述べられた。

(2)「平和・安全」をめぐる論議
(国際情勢の変化と国連の対応)

 委員から、二十一世紀における普遍的な国際平和機構に我が国は英知を結集して参画、協力すべきであるが、この責務を我が国が果たすに当たり、国連の持つ可能性と限界、また、二十一世紀に向けて挑戦すべき新たな課題について見解が求められた。これに対し、参考人は、国連は第一義的には国際平和のための機構であるが、国際という文字を外して世界全体の問題に取り組むべき段階に入りつつあるとの認識を示した上で、国内の平和と秩序、開発と貧困、環境の悪化等の国内のガバナンスや、歴史的な背景から最近多発する国内紛争にも未然防止あるいは事後介入して事態の悪化を阻止することが国連の最も重要な役割であり、人間を中心に置いた考え方が重視されるようになってきたことからも、このような方向に向かう可能性が広がっているとの見解を示した。また、国連の限界については、平和と安全保障問題では様々な失敗を繰り返しており、国連が期待にこたえられない状況にしてきたのは加盟国の責任であり、日本のような実力を持った国が多面的な平和構築にもっと協力することがその限界を乗り越える道につながるとの見解を示した。
 また、委員から、現在では、国連の平和維持機能に期待する意見ばかりではないとの指摘がなされ、その可能性と限界を考える上での前提は何かについての見解が求められた。参考人は、国連の集団安全保障は、各国の主権を発動する私的な暴力を抑えるための「超暴力」であり、その前提は暴力であるが、冷戦期においてその「超暴力」が使えない状況になったがゆえに、「非暴力」であるPKOが誕生したとの認識を示し、人間の安全保障が重視される現在においては「非暴力」の持つ意味合いは非常に大きく、全体の国際的利益を最重視する時代であるとの意識は、国連の平和活動を展望する際に大切な視点であるとの意見を述べた。
 地域紛争への対処について、委員から、国連や国際社会は有効な手だてを得ていないとの認識が示され、国連が果たす役割をとらえる視点について見解が求められた。参考人は、昨今の紛争は、貧困や人権抑圧など人間が生存する上での問題を原因として起こることに特徴があるため、政治的活動で民族紛争等に対応するとの発想を超えて、人間の生活に密着した地道な活動が国連の安全保障の重要な活動の一環になるとの視点を示した。
 また、紛争の予防については、委員から、早期警戒の策として国連による紛争当事者からの意見聴取や人道被害を受けている者の個人通報制度も有用であるとの見解が示された。これに対し、参考人は、事実調査、情報収集、予防展開、信頼醸成措置等の予防外交は今後の国連の重要な役割であるが、紛争の発生から終結、さらにその後のケアまでを含めて予防外交は展開されなければならないことも重要な点として指摘した。
 国連とG8との関係について、委員から、国際の平和と安全にG8が果たす役割の増大は国連の威信と影響力の低下につながるとの指摘がなされ、平和と安全に関するG8の位置づけについて所見が求められた。これに対し、参考人からは、安保理が国際社会全体の意思決定機構であるのに対し、G8は基本的な価値を同じくする国々がその価値を増進し普遍化するために努力するための組織であって両者の区別を明確に認識しておく必要があるとの見解が示された。

(国連の集団安全保障)

 国連と地域機構との役割分担について、委員から、国連が果たすべき平和維持機能を北大西洋条約機構(NATO)や欧州安全保障・協力機構(OSCE)のような地域機構等が実質的に肩代わりしている現状についての意見が求められた。参考人は、国連が一元的に取り仕切り、国際社会の秩序を維持することは非現実的なため、地域機構の限界を考慮した上で、活用していくことが重要であるとの認識を示した。
 国連憲章の武力不行使原則について、委員から、国連憲章の原点に戻り、国連憲章の目的・原則に従うことが国際の平和に今最も求められているとの意見が示された。これに対し、参考人からは、憲章の下で、国連が武力行使を完全には禁じてはいないことが原点にあり、明らかな侵略行為に対しては武力行使で侵略行為を停止させることも時により必要であるとの見解が示された。また、NATOのユーゴ空爆は、国連憲章に違反する行為であるが、単に法技術的な議論ではなく、国際社会における秩序の維持という見地から考えるべき問題であり、主権国家から成り立つ現在の国際社会の仕組みの現実と、今日のグローバルな社会における価値をいかに守るかという問題とが抵触したコソボの状況は、過渡期の大きなチャレンジであったとの見解が示された。
 また、委員から、国連の授権のない特定の国が紛争に介入することは憲章上許されず、国連の威信低下にもつながるとの意見が示された。これに対し、参考人は、国連憲章上許されない行動をしないとの原則を確認すべきであるとの見解を述べた。また、参考人は、大国が関連した平和維持、平和管理問題は往々にして大国の利益が反映され、国連憲章を無視したような武力行使も行われてきたが、国連の枠組みにおける協議を通じて中小国の力を発揮するよう軌道修正し、大国主導ではない強制行動を目指すことによって、大国の利益が地域的あるいは世界全体に反映されることを除くことができると指摘し、安保理五大国間のチェック・アンド・バランスを活用して、安保理が憲章に規定される本来の役割を果たすべきであるとの意見を述べた。
 国連緊急対応部隊について、委員は、高い評価を示し、日本政府がとるべき対応について所見を求めた。これに対し、参考人は、文民であるNGOなどが参加する緊急対応部隊に関する原則づくり等の作業に日本も参加し、できる範囲から協力していくことが望ましいと説明した。
 国連と軍事同盟との関係について、委員から、紛争が国内問題化する傾向を認めながらも、国家間の問題も依然深刻である現情勢下での同盟関係の位置づけについての認識が求められた。これに対し、参考人は、国際紛争はいまだに幾つも起こる可能性があり、同盟関係は地域の安全確保や危機管理のために重要であるが、同盟を含む地域機構と国連の枠組みとをいかにリンクするかが重要であるとの認識を示した。
 アジアの安全保障における国連の役割について、委員から意見を求められ、参考人は、国連にとってアジアは非常に活躍しがいのある地域であり、また、世界の国すべてを取り込む国連は、それにより加盟国を監視し、紛争を予防することができるとの意見を述べた。

(国連平和維持活動)

 国連の平和維持活動の本質について、参考人は、同意、公正、自衛以外の武力の不行使のPKO三原則、すなわち「非暴力」が本質であり、これを積極的に国連のピースオペレーションズ(平和活動)の中に位置づけるべきとの見解を示した。
 また、委員から、国連の平和維持活動を冷戦終結後の紛争に適用する際の限界についての意見を求めた。参考人は、PKOは「非暴力」たり得ない状況には適用できないとの認識を示し、「非暴力」で対応できる局面では、国連がピースオペレーションズという大きな枠組みをつくり、紛争予防、平和的交渉、平和維持活動、ピースビルディング等を組み合わせて行動していくべきであるとの意見を述べた。
 PKOと地域機構との関係について、参考人から、人道的介入や強制力を持つ活動は、地域機構等との協力分担関係を持ち、ある種政治的な合意がなされたときにPKO三原則による多機能型PKOを派遣するという役割分担が重要になるとの見解が示され、委員からは、人道問題が起こる場合における「超暴力」の役割を地域機構に丸投げするのではなく、国連の権威の下で管理するべきではないかとの意見、コソボ問題で見られたようなNATOの活動との役割分担は、NATOの行動に憲章違反との批判が出されていることからも、国連の権威低下を固定化するとの意見が述べられた。これに対し、参考人は、丸投げということではなく、国連が管理するシステムの中にNATOのような軍事同盟的なものも含む地域機構を組み込み、総合的なピースオペレーションズという形で再構築する必要があるということであり、それによって国連の権威失墜にも歯止めがかけられるとの所見を示した。
 日本のPKO協力について、委員から、複雑多岐な要因により噴出する紛争に対して、機動的に対処するとの観点からみると、日本の現状は国際社会の現実との間に落差があるとの指摘がなされ、今後の関与の在り方についての意見が求められた。これに対し、参考人からは、停戦監視等の基本的かつ本質的な活動への参加凍結は、一日も早く解除すべきだが、解除したとしてもすべての活動に参加しなければいけないわけではなく、政治的状況、リスクの程度、日本の果たし得る役割を総合的かつ主体的に判断して決めるべきことであるとの意見、日本は人的貢献をする方向に早晩進み、多機能の平和構築までを含む様々な活動に対して、今後積極的になる可能性が今までより広がるとの意見が述べられた。
 委員からは、憲法その他の制約により控え目であった日本の国際貢献としてのPKO協力にもう少し踏み込んでいくべきとの意見が示される一方、憲法前文と九条に従えば、日本のPKOへのかかわりについては、おのずと議論が区別される必要があるとの意見が示された。これらに対し、参考人は、憲法九条との関係は避けて通れない問題であるが、国連による強制行動と国権の発動としての武力行使とは全く関係ないことをはっきりさせることによって、日本は全面的にPKO活動に参加すべきとの意見を述べた。また、憲法の精神と国連の精神は合致しているのであるから、憲法九条の下においても共同利益のための国連平和活動や武力行使に参加できると理論的には考えられ、三原則によって立つPKOには全面的に参加する方向が模索されてよいとの見方を示した。その上で、日本はこのスタンスに立ちながら、国連の正統性と信頼性をもっと確保できるような形に改革していくことを大いに主張し、さらには、PKO活動が国連の第三者機関としての正統性、国際性、信頼性に合致する活動か否かの見極めが必要であると付言した。
 委員からは、PKOについての日本国民の意識は積極派も消極派も含めて固定的観念に埋没しており、ギャップを感じるとし、これに対する感想が求められた。参考人からは、ギャップが存在する大きな理由は関心が低いこととともに、国際的な平和教育の未確立から国民に情報が行き渡っていないことにあるとし、メディアを含めた多面的な知識の共有がギャップを埋めていく上で重要であると述べた。
 また、委員からは、国益に関係のないところで、危険の伴うような国連活動への参加について、いかに自国民に説明すべきかとの問題提起があった。これに対し、参考人は、武力を行使しないとの国是や国民一人一人の決意の問題と、リスクの問題とは別であり、利害・打算や自国益を考える国民感情と、国際社会の公益を守る立場とをいかに両立させていくかが、これからの国際社会にとって非常に重要な問題であるとの所見を述べた。

(3)「経済・社会」をめぐる論議
(国際情勢の変化と国連の対応)

 委員から、冷戦終結後に一時期高まった国連の平和維持機能への期待は、旧ユーゴにおける経験やソマリアでの失敗を経て急速にしぼみ、国連は紛争の根底にある経済・社会的な問題の解決への取組を活性化したとの認識が示された。これに対して、参考人は、国連活動の重点が開発や貧困の克服に移りつつあるとした上で、人間の安全保障の議論が、先進国の開発援助疲れから再び援助を出すことによって、金持ちの国々の人間の安全を守るとの方向に向いている点は問題であると指摘し、また、アフリカの紛争は資源の利権をめぐって発生し、その争いは先進国の利害を反映した代理戦争の形で行われており、経済・社会の問題を考えるときにそうした点を考えずに、国連がただ介入しても効果は上げられないとの見方を示した。
 また、委員から、多国籍企業に代表されるマルチナショナル・ビジネスの影響は、経済、社会、文化と底辺社会の問題すべてに及んでおり、国家、国連、NGOのいずれもがこれに太刀打ちできないとの見方が示され、その打開方策についての意見が求められた。これに対して、参考人は、国家や多国籍企業によるネオリベラルな大競争が放任されれば、この競争に参加できない者は、国際市民社会として利用されたり、底辺社会は切り落とされたりするとの認識を示した上で、ソマビアILO事務局長の意見を引用して、[1]自由競争に対する規制としてのトービン課税、[2]中小企業や地場産業を中心とするネットワークの構築とそれらの営む経済規模の拡大、[3]多国籍企業が労働や公益の代表と話し合って自己規制を行う必要性を挙げた。
 委員から、憲法上、日本はPKOへの軍事的貢献ができないとした上で、人間安全保障の観点の重要性から行うことのできる平和的・非軍事的な貢献についての意見が求められた。参考人は、人間の安全保障論には、国家より小さな単位のグループが自らの安全を守るために他のグループの安全を脅かすという難しさがあって、その調整はつらく困難な作業であるとの認識を示した上で、非軍事的な側面だけでなく、人間の安全が軍事行動によってどれだけ守られ破られているかを個々に考える必要があるとの意見を述べた。

(経済)

 委員から、国連改革で日本が開発問題で主導権を発揮したことは意味があり、アフリカ開発で果たした役割は大きく、今後は、東欧や中央アジアの開発について積極的に発言することは日本の国益にもかなうとの意見が示された。これに対し、参考人は、現在、途上国側も国づくりを本気で考えており、途上国に世界経済のシステムに入ってもらって、輸出・輸入市場としての世界経済システムにプラスになるような共存共栄の考え方が必要であるとし、日本はこの戦略をアフリカだけでなく中央アジアや東欧においても用いて、国連でも世界的戦略として進めていく必要があるとの所見を示した。
 また、委員から、南北の格差や途上国内での貧富の格差の拡大は、ODAの質、途上国のガバナンス、資金の不足のいずれに起因するかについての所見が求められた。参考人は、貧富の格差が拡大している状況下でODAを実施しても焼け石に水であり、マクロ政策とODA政策とのリンクを考える必要があるとの見方を示した。
 委員から、専門機関であるIMFに対して国連が行うべき規制や改革について意見が求められた。参考人は、二〇〇一年に世銀、IMF、WTOと国連とのハイレベルのグローバルミーティングが予定されており、IMFに対する大拠出国である日本はそうした場でIMFに国連への協力を求めるべきとの意見を述べた。

(社会)

 人権に関しては、委員から、まず九五年の世界女性会議について国連が果たした役割についての所見が求められた。参考人は、国連主催の北京女性会議は、人間の価値や人間参加の形で社会福祉を増大する見地から、女性に焦点を当てて会議が開催され、大きな役割を果たしたとの認識を示した。また、委員から、同会議で達成された人権の普遍性と多様性が南北対話を通じて達成されたとの分析からくる教訓についての所見が求められた。参考人は、NGOが団結して、問題の掘下げができたが、NGOの考え方に対する政府の受け止め方が区々であり、今後は、政府代表団の中にNGOが入ることが重要であり、再検討会議では準備段階から市民運動との協力が重要であるとの所見を示した。さらに、委員から、市民的政治的自由に関する国際規約の選択議定書を批准すべきとの指摘があり、また、国連の人権関連条約に基づく政府報告書作成における政府とNGOとの関係について所見が求められた。これに対して、参考人は、選択議定書は批准すべきであり、また、政府報告書の作成は外務省が所管省庁の報告をまとめるだけという実情にあり、その報告は良心的ではあるが、全体的な人権政策がないため問題には全然こたえていないことになっており、政府全体の人権政策を確立して各省庁が協議しない限り、NGOが幾ら参加しても問題を解決できないという難しい問題があると指摘した。
 宗教問題を背景にした民族紛争等の行き着くところは心と教育の問題であるとの認識が委員から示され、底辺社会や途上国における教育問題に関する国連のこれまでの取組と今後の在り方について所見が求められた。これに対して、参考人は、国連における文化教育の推進には、先進国から途上国への「知の移転」や「技術移転」という垂直的関係と、異なった歴史、文化、宗教の間での考え方の差異を相互に認識し、啓発し合うという「水平の教育」の二つの考え方があり、その中で、人権や心の問題では一緒に考える教育が重要であり、内発的に教育の芽を育てていこうとするプロジェクトがユネスコや国連大学にあると説明した。
 国連大学について、委員から、今後の活用の在り方について所見が求められた。これに対して、参考人は、設立時には、違った考え方や異なった宗教・歴史を持つ者を教員や学生にすることで国連を活性化し、単なる西欧中心主義を乗り越えるための大学にする構想があり、また、ユネスコが第三世界諸国に支配されているため米国と日本がつくる先進国中心の大学という二つの考え方があったことを紹介した上で、国連大学に多くを期待する第三世界の知識人を巻き込み、文化、社会、経済、ネオリべラリズム、技術などの対話研究ができる場にすることが重要であるとの見解を示した。
 また、委員から、学生採用を含めて開かれた大学にするために必要な制度等の改善について所見が求められるとともに、人権、平和、環境、グローバル・ガバナンス等の教育機関、研究機関として発展させるべきとの意見、アジアや日本を世界に発信する場にすべきとの意見が示された。これに対して、参考人は、日本への頭脳流出を懸念する開発途上国に配慮し分校を世界各地に設置した事情、先進国の反対によって、学生を採用できず、博士号・修士号を付与することができない事情を説明した上で、大学理事会はこの制約を除去するための国連大学憲章の改正に取り組むべきであり、日本は環境等の諸問題に関するユネスコとの共同の教育・研究プログラムに取り組むべきとの意見を述べた。また、参考人は、研究研修センターのネットワークを一層強化し、他の大学が留学生や研究員を派遣すべきであるとの意見、国連大学OBの研究者ネットワークによって、放送大学のようなものを設け、その中心に大学院レベルの教育を行う場をつくるべきであるとの意見を述べ、日本が国連大学の発展に貢献すべきとの所見を示した。

(4)「国連の機構・財政」をめぐる論議
(安全保障理事会)

 委員から、日本の常任理事国入りに関する加盟各国の受け止め方や反応について見解が求められた。これに対して、参考人は、日本が常任理事国になる資格があり、また、なるべきだとの声は国連の中において圧倒的な多数として存在しているが、安保理の強化が論じられている中で、全体のパッケージをどうつくるかが今一番大きな問題であるとの見解を示した。また、委員から、我が国の政府、企業、NGOが一歩一歩日常不断に行動を積み上げていくことが重要であり、その姿勢が、アジアが日本を評価し信頼関係につながっていくとの認識が示され、常任理事国入りには、客観的に日本がどういう評価を受けているかという物の見方が非常に重要ではないかとの意見が述べられた。これに対して、参考人は、安保理は基本的に改組しなければならないが、最近の紛争の大部分は貧困国で起こっており、底辺社会の貧困の問題が十分理解できない人たちが集まって種々のことを決めていることに問題があり、例えば、経済問題も含めての安保理にしなければならず、常任理事国入りのためには、アジア・アフリカの中でもアフリカの方での日本の協力が大事ではないかとした上で、二〇〇一年に南アで国連が予定している反人種主義の国際会議を日本が支持し、アフリカ諸国の信用を得ることが重要との意見を述べた。また、委員から、進展しない安保理改革を放置しておけないこと、それには経済社会分野等の外側から包み込むように必要なことを積み上げる形で、国連を意義あらしめるようにすることの重要性が指摘された。
 委員から、冷戦構造が終結した今日のP5の拒否権の効力について見解が求められた。これに対して、参考人は、実際には常任理事国といえども拒否権を簡単には行使できないのが現状であるが、拒否権の存在によって手続がゆがめられるという事実は依然残っているとの見解を示した。
 委員から、旧敵国条項に関する認識が求められた。これに対して、参考人からは、敵国条項が削除されなければならないのは当然であるが、実際には、現在の国連加盟国には適用しないとの決議があり、次回の国連憲章の改正の際に削除されることで合意が得られているとの認識が示された。

(国連と市民社会・NGOとの協力)

 委員から、国連の民主化としての第二総会設置には賛同するが、総会の自己否定につながるのではないか、また、安保理が承認するかどうかも大きな課題であり、安保理改革や総会の機能強化をあわせて行うことが不可欠ではないかとの意見が述べられた。これに対して、参考人から、第二総会は、市民社会グループの代表が問題解決に貢献能力のある行為主体として政策提言を行い、政府代表による審議、政策立案に協力し、それを補完する形であり、総会の自己否定にはつながらないとの見解が示された。また、参考人から、P5は、市民社会の台頭に賛成しない向きがないわけではなく、途上国がその台頭に非常に警戒していること、さらに、最近はNGOと国連の関係は以前より悪くなっていると一部で言われているとの指摘があった。委員から、資格等の問題はあるが市民参加によって国連は活性化するとの見方が示され、第二総会を設置し、そこで集約された意見を総会に反映させる構想に関しての見解が求められた。これに対して、参考人は、市民社会の啓発的な運動が、受け身で無関心になりがちな国民世論をより積極的な形につくり上げていくことは非常に重要であるが、第二総会設置の考えには疑問を持っているとした上で、第二総会に何らかの決定権等を与えることは、むしろ事態を混乱させる可能性が高いとの見解を示した。また、委員から、市民社会との連帯としての第二総会設置や信託統治理事会にかえて、人間や地球・公共財を管理する理事会の設置に同感を示した上で、市民社会の国連への参加にどのように正統性を付与するのかについて意見が求められた。これに対して、参考人は、現代における正統性概念の変化を認識する必要があり、最近は、正統性の構成要因には説明責任・結果責任と透明性の確保があり、新しい事態としては参加型民主主義が重視されていると述べ、参加を通じて政策の方向づけと、その実施にいかに貢献できるかという実態的な機能に焦点があるとの見解を示した。
 委員から、国連におけるNGO、市民団体の活動や活用の在り方についての見解が求められた。これに対して、参考人は、政府として、市民社会の動向を政策形成の上で反映させることは、外交の分野に限らず重要なことであるとの認識を示した上で、国連の場の活用については、政府代表団の中に市民社会の声を取り入れる方法と、市民社会の横のネットワークを通じて出てくる声を国連のプロセスに間接的に反映させる方法があり、今後の課題は、市民団体が正統性を確保し、その声をいかに反映させていくかにあるとの指摘を行った。委員からは、国連に参加するNGOの組織的な持続性・安定性の確保について見解が求められた。これに対して、参考人は、市民社会とは、NGOに限らず企業など市民社会を構成する他の行動主体もあり、草の根NGOだけでなく、実績があり大規模で国際的なNGOもあると説明した。その上で、いかにNGOの継続性を確保するかについては、業績があり責任をとれる団体に行動主体を限った方がよく、行動主体が自ら属する社会に対しパートナーシップを通じた貢献ができるかが決め手であり、重要であるとの見解を示した。委員から、国連と国際NGOとの協力関係を発展的に確固たるものにするためには、国連本部の機構や人事の大胆な改革と強化が必要であるが、どういう対応がよいかについて見解が求められた。これに対して、参考人は、国連とNGOの関係は長年にわたり協力関係が続いているが、国連がその協力に力を入れると、途上国・先進国ともに幾つかの国がネガティブな反応を示すことがあり、これは残念なことであると述べた。

(国連の職員・人事)

 国連人事制度の在り方について、委員から、国連職員の昇進の実態、特に能力主義との関係について意見が求められた。これに対して、参考人は、国連の職員の昇進については、各国の大使が走り回り驚くほど政治的になった事実があり、昇進制度が明確でないため上司と部下の信頼関係が非常に揺らいでおり、人事の改革や人事制度の確立を期限を切って行うことが望ましいとの認識を示し、二十一世紀に向けて国連がどのような人材を必要とするかについて事務総長の責任で表明し、また、人事運営についても総会決議ではっきりとした線を決め、全加盟国がそれに従うような体制が必要であるとの意見を述べた。
 邦人職員と日本の国益について、委員から、米国は、国連の場において典型的に国益を追求し、世銀やIMF等の国際機関についても国益にかなうよう相当な力を入れているとの認識を示した上で、日本も国連中心主義よりむしろ国益追求を表に出し、国策として大量に外国留学させ、その人材を国連に送り込むことが必要との意見が述べられた。これに対して、参考人は、すべての国が常に国益を追求しているとした上で、国益の中味が問題であり、非常に狭い国益を追求し他国の支持を受けなくともよいということなのか、国際社会の支持を受けながら自国の利益を追求していくことなのかが違うところであると述べた。また、日本の国連中心主義については、国連を固定的に考えるのではなく、国連を通じて広い意味の国益を追求し、国際社会の在り方などについて日本のビジョンを実現するための手段として主体的にとらえる必要があり、国連を通じて何を行うかをしっかりと考える姿勢が大切であるとの意見を示した。
 邦人職員の増加について、委員から、[1]養成機関や特別な講習機関等を設けて優秀な人材を送り出すこと、[2]採用後の邦人職員に対する日本の国連代表部によるケア、[3]国連退職後の将来の保証、[4]公務員採用に国際機関要員の特別枠を設けて、採用後、集中的訓練を行うこと、[5]欧米の大学やシンクタンクに在籍する日本人へのアプローチが必要、との意見があった。これに対して、参考人は、採用の仕組みでは、空きポストを各国政府に通知すると同時に、大学院や女性問題担当の場合には女性の各種団体等に連絡をしていると説明した上で、外務省中心になることは多いが、企業、大学等に更に広げていくことは大事であり、政府以外の積極的な動員が必要との見解を示した。また、委員から、外務省ジュニアプログラム経験者が国連職員に正式採用されるに至っていないとの指摘があった。これに対して、参考人は、JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)の経験者は非常に優秀であり、国連のフィールド活動の分野の場で多く雇ってもらいたいが、国連開発計画(UNDP)やユニセフでは次第に吸収力がなくなっている現状を指摘した上で、こうした人材を日本国内で活用するような見直しを切望すると述べた。さらに、委員から、英語力の強化と英語教育の抜本的改革策についての意見が求められた。これに対して、参考人は、英語によるコミュニケーションの問題については、例えば、会議のノートをとってそれをレポートにまとめる能力と、よく説明して指揮することが望まれるとした上で、実務的な言葉の使い方が勉強できる場をつくること、海外教育については、更に留学制度を拡充・促進し、留学できない者には補充的設備を集中的に整備していくことが必要との意見を示した。
 委員から、日本の若い人材で国連の管理職になり得る資質を有する者は多数存在するのか、日本人職員の管理職への昇進が困難な理由として、経営管理の考え方に違いがあることについて意見が求められた。これに対して、参考人は、日本人の場合に、専門職でまじめに一生懸命仕事を行っていることは認められるが、指導能力を発揮できるかどうかの問題があると指摘した上で、指導者になりたいとの意思があれば何とかできる問題ではないかとの認識を示した。さらに、管理職ポストをどのように獲得するかについては、国全体が共同作戦を行う必要があり、企業や財界等と一緒になって、国レベルの決断を行う必要があるとの意見を示した。さらに、国連は、上級ポストに行けば行くほど細かいことを知り、すべての知識を把握していることが必要とされており、下でチームをつくって仕事をして上にあげて上級者が承認する型とは基本的に考え方が違い、そこの難しさがあるとの意見を示した。

(国連の財政)

 国連財政の全般的な状況について、委員から、財源確保のため、国連通常分担金の算出にGNP基準に加えて責任比率を導入し、経済繁栄を続けている国から任意拠出を受け国連の基金枠を広げる工夫はないかとの意見があった。これに対して、参考人は、通常はGNP基準だけでなく大変複雑な方程式になっており妥協の産物であるが、負担の原則としてどのようなことが望ましいか、国際社会でそれをどのようにして合意を得るかがポイントであり、国連憲章上義務的な部分の支払の原則は曲げてはいけないと指摘した。さらに、参考人から、二十か国で九〇%の予算を負担しているのは非常に脆弱な財務体質であり、分担金の計算の仕方を見直す必要があること、国連では財政基盤を安定させるため種々の考えがこれまで出されてきたが、この段階で一度それを集大成し、これまでの案を再検討することは大事であるとの意見が示された。
 通常予算分担金の全般的な状況について、委員から、米国の分担金滞納は、国連の活動そのものを制約してしまうとの懸念が示され、合理的な分担の在り方を確立し、財政基盤を強化すべきとの意見が示された。これに対して、参考人は、平和維持活動の派遣数が増大する一方で、予算額は九四年を頂点として減少していると説明し、米国を含む加盟国の意思が反映された国連の能力と、国連に対して期待される役割との間のギャップが大きくなっていること、国連の能力、特に財政的な能力を高め、より強力な平和維持活動を行うことが大事であるとの見解を示した。また、委員から、米国の分担金滞納の背景にある国際的な機構や条約の枠組みへの拘束を拒もうとする単独主義的傾向についての所見が求められた。これに対して、参考人は、米国の分担金未払に関しては、米国の一方主義的な傾向や国際社会からペナルティーを受けにくいなど種々な側面があるとの認識を示した上で、これは議会に限られた傾向であり、行政府等では分担金の不払が賢明であるとする者はおらず、世論レベルでも分担金を一方的に支払わないことは望ましくないとの回答が圧倒的に多いと説明し、さらに、日本としても事あるごとに米国に対して分担金支払の国際的ルールを守るように粘り強く助言することは決してマイナスではないとの意見を述べた。
 通常予算分担金の日本の負担の在り方について、委員から、日本の発言力と財政負担との均衡の観点及び我が国の財政事情等から、国際機関への財政負担問題について積極的な国会論議が必要であるとの意見が示された。これに対して、参考人は、国会が予算審議のプロセスを通じて国連予算の問題を真剣に議論することは大変望ましいが、国連分担金は一定のルールで決められており、この不払は国連憲章の義務違反となり、それをしてまで国連に圧力をかけることは日本のとるべき道ではないとし、冷戦時代に決められた途上国割引制度が日本などの負担にしわ寄せとなっており、この仕組み自体を再検討する必要があるとの見解が示された。また、参考人は、納税者に対する説明や国連に対する提案を国会の立場で行うことは望ましいとの認識を示し、国連は、加盟国が積極的に利用する気持がないと有効活用ができない性質を持っており、国会としても、予算審議の角度から、日本の国際的発言力を増すにはどうしたらいいか、あるいは国連自体の改革をどのようにしたらよいかという前向きな提言をしていただくとよいとの意見を示した。また、委員から、国連改革や常任理事国入りとの関係で、分担金の支払制限や停止に関する国会決議をすべきとの一部の議員の意見について、そうした行動はどのような影響と余波が想定されるかと所見が求められた。これに対して、参考人は、憲章上の義務として決まっている通常予算の分担金を「てこ」に使えば、恐らく日本は多くの開発途上国の支持を失うため賛成できないとの認識を示した上で、自発的拠出の部分については、法的根拠が違い、事の性質上日本が賛成できないプログラムに対しては拠出を断り、また、財政事情の厳しさから断ったとしても筋が通る性質のものであるとの見解を述べた。
 PKO特別分担金について、委員から、PKO予算のうち、受益国による負担、派遣国による自主的な支出の実態について所見が求められた。これに対して、参考人は、PKO予算に関しては憲章に規定がないため、理論的にはどのような方式でも構わないが、国連が事実上全額は負担していないことも重要なポイントであるとの認識を示した上で、標準的支払のための単価計算表を国連当局は持っており、国連が要員を派遣した国に対し費用を支払う際にはそれに基づき支払を行っているため、自衛隊はもちろん、北欧やカナダのようなPKOに熱心な国々が要員を派遣する場合にはかなり多くの国庫負担を伴っているはずと説明した。さらに、PKO作戦に参加すると収入がある国も途上国の中にはあり、それがPKO参加の一つの誘因になっているとの認識を示した。その上で、何が一番良い方式かは大変難しい問題で、制度的にも完璧なものはなく、ケースバイケースで多くの国が納得する常識的な解決を地道に図っていく以外にないとの所見を示した。
 任意拠出金について、委員から、出資国の判断により濃淡をつけられる任意の拠出金を活用する考え方は、我が国の政策的特色をつくり出す方法として非常によいとし、また、我が国に適した国際貢献の一つの対象分野は、ヒューマンセキュリティーの分野であるとの考えが示された上で、国連本部にヒューマンセキュリティー・ファンドが設立され動き始めているが、国連基金に対する支出対象を出資国がどの程度左右し管理できるのかについての見解が求められた。これに対して、参考人は、ヒューマンセキュリティー・ファンドあるいは社会問題については、人間の福祉を考えるような活動が日本の国際貢献として一番適切との考え方に賛成であるとの認識を示し、日本は地味ながらその努力はしてきているとの見解を示した。また、委員から、任意拠出金がなかなか集まらない中で日本は努力しているが、分担金の在り方として、豊かな国が累進課税的に負担すべきなのか、どの国も一部は必ず負担する形にするべきなのかについての見解が求められた。これに対して、参考人は、トービン・タックスの議論を国連の財政問題の解決に役立てようとする考えがあること、また、分担金と国連の持つ正統性や国連が大事だとの確認が次第に風化しているとの指摘を行い、日本は国連を大事にしている国であることに誇りを持つと同時に、それがすごく損な立場であるということも認識しておく必要があるとの見解を示した。

2 国連改革に向けた課題

(一)参考人の意見の要旨

(1)二十一世紀における世界と日本 ― 国連の今日的役割について ―
○横田 洋三(東京大学大学院教授)
(今日の世界と国連)

 国連は、今日及び将来にわたり人類にとって不可欠の存在である。
 環境破壊、内戦、人権侵害、飢餓、絶対的貧困、国際テロ、難民及び避難民の大量流出、エイズ等の感染症、人口爆発、資源・エネルギー源の枯渇など人類の将来に重大な影響を及ぼす脅威はどれも一国だけでは対応できない。そのため、国境を越えた協力、とりわけ組織的に進められる協力が必要であり、国家間の地球規模にわたっての協力を推進する上では、国連及びその周辺にある国際機関を通して人類共通の課題に対応する以外に方法はない。

(国連改組の必要性)

 国連本体は五十年前につくられたものであり、周辺機関の大部分も六〇年代までにつくられたため、新たに人類が直面している問題に対応する上で、組織と手続に不十分なところがある。
 例えば、憲章は、国家間での武力行使の禁止、国家間の国際紛争の平和的解決を基本に考えているが、最近の紛争の多くは内戦的なものである。平和維持活動など、憲章に予定されていなかった国連の活動を通して対応はしているが、極めて不十分である。また、憲章に規定されている集団安全保障体制は、違反者に対し軍事力で制裁を与えるというものであるが、違反者が強力な国である場合には機能しない。特に違反者が五大国の場合、拒否権があるため制裁を加えられない。これについても制度的な改組を考える必要があり、最近議論されているのは、紛争が起こる前の予防外交、予防措置を強化するということである。
 安保理については、特に五大国の拒否権の問題と現在の五大国が世界の平和と安全に責任を取り得る国だけで構成されているかという問題がある。例えば、財政的貢献の大きい日、独が常任理事国になっておらず、現在の状況に対応できないでいる国連の姿が見られる。
 このほか、総会の決定が勧告以上のものでない点で総会強化の問題がある。
 経済的、社会的、文化的分野についての主要な活動は専門機関に任せているが、世銀やIMFなどは国連とは違った方向で活動しているのではないかとの指摘がある。この点で経社理の権限を強化し、国連の周辺にある機関に対する一定の勧告ができるような方向を目指す必要がある。
 さらに、今日世界が直面している問題は、機能別に分かれた機関での対応では済まなくなっているので、機能主義に基づく経済社会分野での機関の分散化に対して国連が各機関の活動を調整できるようにしなければならない。
 実質的に機能停止している信託統治理事会については、破綻国家における国連暫定統治機構の活動を監視する機関として国連暫定統治理事会に改称し復活させることが考えられる。
 憲章上、事務総長の権限が明確になっていないので、事務総長の権限を明確にする方向性を出してよいのではないか。それと同時に事務局の効率的活動も今後更に確保しなければならない。

(国連改組の可能性)

 国連の改組には、憲章を改正する必要があるが、大国の拒否権の問題が出てくるので難しい。そこで、憲章改正を必要としない改組を考える必要がある。すなわち、憲章改正を必要とする国連改組は最小限にとどめて、あとはできるだけ現実的に、憲章の解釈と運用の中で実現できる改組をしていくべきではないか。

(憲章改正を必要とする改組)

 憲章改正を必要とする改組には、安保理常任理事国を現在の五から十に増やすことがあるが、それぞれの地域の国家の利害が対立し合意が得られにくい状況で、見通しは決して明るくないと感じている。非常任理事国については、私は現在の十から十四に増やすことを考えているが、これについても、合意はまだ成立していない。
 信託統治理事会を国連暫定統治理事会にすることにも憲章改正が必要である。
 また、憲章第五十三条の旧敵国条項は意味のない条文とはいえ、日本のような旧敵国に該当する国には快いものではないので、憲章改正の際に一緒に削ってはどうかと考えている。

(憲章改正を伴わない改組)

 憲章改正を伴わない改組としては、一九五〇年秋に採択された平和のための結集決議の活用がある。安保理が動かないときには行動を含めて総会が審議できるという決議案である。一九五六年のスエズ動乱以後使われていないが、これを総会強化の一案として使ってはどうか。コソボ問題でNATOが国連の了解を得ずに人道的干渉ということで攻撃を加えたのは間違いであって、安保理で拒否権が発動された後、平和のための結集決議に基づき了承をとるべきであった。
 また、総会に個人的資格で選ばれた議員によって構成される世界議会を補助機関として設置してはどうか。
 さらに、経社理に、その決議に基づき、経済開発環境委員会と社会人権人道委員会の二つの常任委員会をつくる。現在の経社理は形骸化しているので、経社理の理事国数を現在の五十四から三十程度に減らして、内容のある議論ができるようにすべきではないか。
 そのほか、経社理による専門機関の活動調整機能の強化、経社理の補助機関としてのNGOフォーラムの設置、事務総長に国際司法裁判所に対し法律問題についての勧告的意見を求める権限の付与も考えている。

(国連と日本)

 日本は、国連加盟以来、憲章違反のない優等生であったが、それだけでよいとは思わない。受動的に憲章を守るだけでなく、憲章の趣旨をいかして積極的に国連を通して世界の人類共通の問題に対処していく役割を果たしていくべきだからである。
 日本は実質第一位の国連に対する財政貢献国である。同時に、日本は資源が不足し、日本企業が全世界に広がっていることから、世界の安全、貧困の撲滅、テロ防止などは日本の利害に直接関係してくる。他方、日本は世界の経済力の一五%以上を持っており、世界中でも無視できない存在であるので、日本は国連をいかして世界の問題に取り組む、より積極的な外交を今後展開すべきである。
 しばしば国連との関係で憲法九条だけが問題になるが、憲法前文に示された崇高な精神を国連の場でいかしてほしい。

(若干の具体的提言)

 国連人権高等弁務官のアジア太平洋地域事務所を日本、特に沖縄に設置してはどうか。この機関は、いずれは環境問題、開発問題、緊急援助、軍縮、熱帯病・感染症研究など、これまで国連が直接かかわってこなかった分野のアジア太平洋地域の活動の中心に発展させることもできる。
 こういう活動をするためには、国連における日本人職員が増え、その地位が向上することが望ましい。大学にも教育訓練の責任があるが、国としても対応できる方策が幾つかある。その一つとして、青年海外協力隊で経験と訓練を積んだ若者が大学院と連携し、その経験と大学院での研究成果をいかして国連で活躍するという道を開くことを考えてはどうか。
 また、現在、日本の社会からやや遊離した国連大学をもっと身近なものにしてはどうかと考えている。

(2)国連システムと文化・学術の振興と交流
○内田 孟男(中央大学経済学部教授)
(はじめに)

 国連においては、学術、文化の振興、交流は相対的に軽い分野であったことは否めない。これらの分野は、現在、大きな関心を集めている地球環境や人権に比べても、それほど注目されていないと認識している。
 それが最近非常に変わったのは、冷戦終結後の国内紛争が文化、宗教、民族等の違いに起因することが認識され、国内・国際関係における文化の役割が現実政治の問題として表面化しているからである。
 国連は文化や文明に関する国際年を採択しているが、今年は平和の文化国際年に当たる。国際社会において、文化、文明が持つ意味、重要性についての認識が改まっていると感じている。
 一連の国際年に加えて、特に日本の立場として、文化、学術に関して、国際協力を通じて、世界の平和に貢献することを改めて考える段階にあるのではないか。
 国連大学は、日本に本部がある唯一の国連機関である。現在でも日本政府は多大な支援を行っており、この国連大学を日本の国際的な学術、文化協力にどのようにいかすかは、ホストカントリーとして政策的課題である。また、昨年、アジア初のユネスコの事務局長に松浦駐仏大使が選ばれたことで、広い意味の国際協力の足がかりにできるのではないか。

(理念-学術文化交流と世界平和)

 学術又は文化の振興、交流によって国際平和に寄与するという考え方は非常に古い。エマニエル・カントの恒久平和論までさかのぼる考え方が根本にあると思う。一九二二年に国際知的協力委員会が設立されたが、非常に少数の学者、研究者を対象にしたという制約があった。第二次世界大戦後に設立されたユネスコは、その精神がユネスコ憲章にいかされているのであろう。
 国連大学憲章は、ユネスコとは少し違った形で設立されたものであり、その哲学的な根拠もより限定されたものになっている。国連大学憲章には、国連大学は学者、研究者の国際共同体であるとの文言がある。ユネスコが専門機関で政府間機関であるのに比して、国連大学は総会の自治機関として学問の自由を保障され、基金に基づいて運営されるという方式をとっている。国連大学憲章採択当時の途上国の必要性にかんがみて、途上国に対する貢献も明記している。これは、ユネスコ憲章とはある意味では異なり、より限定的な役割を国連大学に課しているということである。
 学術又は文化の交流が国際平和の礎になるという考え方は、一貫してユネスコにもあるし、国連大学にもある。それが最近は非常に再認識されているのではないか。

(実践-国際機構が学術文化協力に何ができるか)

 ユネスコや国連大学は種々の地球的規模の問題に関する研究調査、若人の研修教育、出版活動を行っているが、幾つかの問題点に直面している。一つは、国家主権との衝突である。知的協力又は文化協力が国民の教育一般に影響を及ぼすようになると、国家の政策との間に一定の相克が生じる。交流が非常に広範囲に行われる場合には、政府、国家との政策上の問題が生じるということである。また、国連システムが財政、人材という二つの面で非常に限られている。非常に広範囲な学術の振興や交流を行う機関としては、この点で、非常に大きな制約を受けている。
 国連システム内の分業と調整は、文化、学術の面に限っても存在するのではないか。国連訓練調査研修所(UNITAR)や国連社会開発調査研修所(UNRISD)、UNDPといったほかの機関も一定の役割を果たしており、いろいろな機関間の調整をどうするかは今後の問題である。
 ネットワーク方式のトレードオフにはメリットとデメリットがある。メリットとしては、既存の研究機関等と提携することで迅速に、かつ、費用を節約できることである。デメリットとしては、継続性が非常に脆弱であり、機関としてのアイデンティティーがなかなか形成されないという問題がある。

(評価-国連の持つ比較優位)

 このように制約、制限を持った国連機関がなぜ学術の振興や交流に関与しなければならないのかという疑問は当然起こる。
 基本的に文化や学術の振興、協力は国際機関よりも国家の政策として、また強力な財団を中心に行われているにもかかわらず、国連機関が関与するのは、第一に、国連の普遍性と正統性である。加盟国が普遍的であることに加え、事務局を構成するスタッフも非常に国際的である。また、いろいろな文化、地域の見解、提携を反映しているということが、国連関与の大きな基準になる。実際に何をしてきたかという点では、最近における環境、人権、女性、都市問題といった一連の国際会議、国連会議がある。また、報告書等によって国際世論を啓発するということは、国連という大きなシステムを動員して初めて可能であったのではないか。
 グローバリゼーションには光の部分と陰の部分がある。その陰の部分をいかに少なくするか、すべての地球上の人間がグローバリゼーションの恩恵を享受できるかが国連の課題であるとミレニアム報告書は言っている。文化もグローバリゼーションの中でいろいろな問題を起こす要素であろう。また、それを解決する大きな手段でもあろう。

(課題と展望)

 これからの展望についてであるが、一つは、事務局の持つ意味は非常に大きいことである。政策決定の場においては加盟国の代表がリードする発言をするが、より技術的な分野に関しては事務局の持つ意味が大きい。したがって、事務局の持つビジョンが非常に大切になる。
 第二に、この分野では先進国がもっとリーダーシップを発揮しなければならない。その意味では、米国がユネスコを脱退し、国連大学への財政的な寄与も全く行っていないという状況は非常に大きな問題である。先進国が、国連のような多国間機関を使い、文化・学術の貢献に更なるイニシアチブをとることが求められている。そしてそれは、日本の大きな責任と同時に大きな機会であるのではないか。共通の人類益を推進するには、特に日本としては、現に存在するユネスコや国連大学をより活用し、より広い国連システム全体の学術の振興及び文化の交流に寄与していただければと念願している。

(3)国際法からみた国連
○藤田 久一(神戸大学大学院教授)
(国際社会における秩序(国際法)の確立)

 国際社会とは、主権国家の併存から成る分権化された社会であり、そこから秩序を確立することは困難である。国際社会に妥当する法秩序を見いだす困難さから、人によっては国際法の存在は奇跡に近いという人もいる。
 秩序の確立方法としての第一の型は、国家間の条約あるいは合意によるものであり、最終的には武力に訴えることが認められていた。
 第二の型は、欧州や米ソの大国が国内秩序ないしは国内法を広く国際社会に及ぼしていこうという動きである。
 第三の国際組織型は、主権国家間の約束で国際組織をつくり、法的には戦争を禁止し、その禁止に違反した国に対して組織メンバーの集団によって強制ないし制裁を加えるという、集団安全保障である。
 第四の型は、主権国家を解消して世界政府をつくり、世界議会がすべての個人に適用されるような世界法を立法し、違反者を世界裁判所で裁くシステムである。
 これらの類型は歴史的展開の順序に沿って見たものであるが、現実には、二十一世紀の前半あたりにおいて考えられるものは、大国秩序型あるいは国連秩序型ではないか。

(国連の基本的性格)

 国連憲章は、主権国家の合意文書、いわば一種の立法条約であるとともに、基本法ないしは憲法として、加盟国間の権利義務及び憲章の定める諸機関、総会や安保理などの機関に対する国家の権利義務を定めている。憲章の二重の機能がここに見られる。憲章を頂点として各機関の内部規則、総会手続規則、職員規則等がつくられ、一種の序列をなしていると考えられる。加盟国には、憲章という条約の当事国であるとともに国連という機構の構成メンバーであるという二面性がある。国連は一つの国際組織にすぎないが、他の国際組織とは異なって普遍的使命を持つ一般的国際機構である。憲章のこの二重機能は、加盟国間又は加盟国と国連諸機関の間に一定の緊張を生み出すこともある。
 国連は総会、安保理等を通じて独自の意思により活動を行い、国連の機関と国連のメンバーは決議にあらわされた意思を実現する義務を負っている。
 他方、国連は国際組織にすぎないわけで、加盟国がもはや国連が不要であると考えれば、国連から脱退する道も残されている。逆に言えば、国連の改革や発展を目指すのも加盟国の意思に基づくものである。
 国連の目的である国際平和及び安全保障は、二十一世紀になっても主権国家併存システムが存続する限り、最も重要なものである。戦後の国連の活動を見ると、人民の同権や自決の原則、経済、社会、文化、人道的な性質を有する国際問題の解決、基本的自由の尊重といった目的は極めて重要になり、国際の平和と安全に関する活動以上に極めて活発に行われてきた。今日でも、これらの目的は国連の目的として一般に妥当し、また、国際社会の一般利益を示していると考えられる。
 問題は、今日、これら以外の目的を追加する必要があるかどうかであり、国連改革の議論で問題にすべき事項である。国連の組織の中で、現実の活動が国連の目的実現にとって不十分ないしは不適切である場合は、国連改革が検討されなければならない。

(国連と加盟国の行動原則)

 主権平等原則は、国連の諸機関の決議等を見てみても、必ずしも貫徹されているわけではない。国内管轄事項に対する不干渉については、国内事項の中で重大な人権侵害の状況が継続されているような場合は、国際関心事項として国連が取り組むとの解釈がなされている。
 総会は、安保理で拒否権が発動された場合、集団的措置をとることを加盟国に勧告することができるとされている。憲章上に明示の規定はないが、違憲であるとの見解は少ない。今日では第二総会を設けるべきであるとの意見もあるが、国連の目標との関係で検討すべきである。
 安保理は、第六章と第七章に従って行動する。第六章に基づく、紛争の平和的解決の条件の勧告には強制力がなく、主権国家併存関係の国際社会における平和的解決には限界がある。問題は第七章の規定である。冷戦後、活発に活用されている平和に対する脅威という概念は、必ずしもはっきりした内容を含んでいるものではなく、安保理の自由裁量による認定による。湾岸戦争、コソボ紛争、旧ユーゴ国際裁判所の設置などを見ると、安保理はある意味で法をつくる活動を行ってきたが、それが適切かどうかという問題もある。

(国連改革の方向性)

 国連憲章の規定が適切であるかどうかという分析を踏まえて、国連の改革ないしはその方向性、特に憲章改正を必要とするのであれば、その改正点を整理する必要がある。軍縮については、憲章にはっきりした規定が少ないが、現実には国連が扱ってきた。この問題は、集団的安全保障をより機能化させるため、非常に必要である。

(日本の対応の仕方)

 日本が国際益としての国連の目的に沿った国連への貢献について考える場合には、日本が貢献できることを説明することが、一番の近道ではないかと考える。

(二)主な論議

(1)国連の理念をめぐる論議
(我が国の国連への貢献)

 我が国の国連への貢献に関しては、委員から、米国が国連から離れ、EUが域内に関心を寄せる中で、我が国はどう対応すればよいのか、また、これまで我が国の国連に対する貢献は財政的貢献が主たるものであったが、理念やリーダーシップの点での国連へのこれまでの貢献とこれからの貢献の在り方について意見を求めた。これに対して、参考人からは、我が国にとって国連の意味を考えた場合に、グローバルな場で発言するという点で国連が最も普遍的であり、我が国にとっての「利用価値」は米国やEUよりも大きく、我が国の貢献については、財政面はよく議論されるが、数は少なくても日本人による人的貢献はあるわけで、そうしたリーダーシップは評価されているとの意見が述べられた。
 また、参考人から次のような意見が述べられた。我が国の有能な人材が国連に貢献できる仕組みや国内教育がうまくできていないことが問題である。国連の最大の使命は国際の平和と安全にあり、これは二十一世紀の国連においても同様である。これまでは集団的安全保障がベターな方式であると考えられてきたが、機能していないという問題がある。また、参考人から、国連が目指すべき目的は、集団的安全保障を超えるような軍縮問題に取り組むことであり、そのリーダーシップをとることが二十一世紀の国連の在り方を考える場合に重要であって、我が国はそれなりの条件を既に備えており経験もあることから、こうした点での我が国の貢献が期待されており、また、他の国々にも最も影響を与えるのではないかとの意見が述べられた。

(我が国の役割)

 我が国の役割に関して、委員から、国連の中で我が国は対米関係に影響を与えない範囲で一生懸命役割を果たしてきており、冷戦後、人類益にかかわる問題が大きくなり、我が国は大きな役割を果たせると思うが、その場合でも、米国の国益や安全保障に差し障りのない範囲でしか行動できないのではないかとの見方が示された。これに対して、参考人から次のような意見が述べられた。国連における我が国の行動は米国と共同歩調をとることが多かったが、八〇年代半ばから、米国が行わないことを実行するという動きもあり、我が国は受け身から徐々に積極的になっており、特に最近は、人間の安全保障概念を中心に置き、国連の今後の方向性を示すようになっている。今後、国際的貢献につながることであれば、米国と対立しても、独自の判断で積極的に行動してよい。その場合に、人類益、国際益を中心に据え、その中で我が国の利益を追求していくことが重要である。
 国連に対する米国の態度について、委員から、国連を生み育てた米国が国連に対して批判的あるいは消極的態度をとっている中で、米国の姿勢を前向きな姿に変えていくための我が国の行動について意見が求められた。参考人からは、米国が国連に背を向けた場合には、国連との協力が米国にとっても大事であることを我が国自身の経験を踏まえて友情ある説得をする立場に回らなければいけないとの意見が述べられた。

(2)「平和・安全」をめぐる論議
(地域的取極)

 地域的取極に関する問題については、委員から、次のような意見が述べられた。参考人が提示する、国家間の合意、大国の秩序、国際組織、世界政府という国際秩序の四類型の分類に加えて、非常に現実的で効果的だと思われるのが、地域的取極と紛争処理である。EUが成立した経緯を見ると、二度にわたる大戦の火種になったところが今や通貨を共有し、議会をつくり、安全保障でもNATOなどの組織があり、世界的に一本化していく前に各ブロックごとにEUのような姿がとれれば、一つの解決になるのではないかとの見方が示された。これに対し、参考人からは、国連憲章第五十三条は、安保理が地域的取極を利用すると規定しているが、地域的取極の定義は明確でなく、例えばOSCEなどは地域的機関にならないとの意思表示を行ったが、EUが地域的機関となって国連の安全保障に協力するのは大いに賛成であると述べた。

(人間の安全保障)

 主権侵害については、委員から、主権国家によるジェノサイドなどは重大な問題だが、安保理の決定の下に国連が介入した場合でも、一歩誤れば主権侵害になりかねないという問題が指摘された。これに対し、参考人からは、次のような見解が示された。国連は、最近、国家の安全保障だけでなく人間の安全保障に着目し、国の利益も最終的には人間を守るためのものとの認識で動くようになってきており、二十一世紀にはこの方向が強まると認識している。ただし、今日個人を保護できる存在として国家の占める比重が大きく、ある国の領域に国の力が及ばなくなると他国の侵略を受け、そこに住む人々の安全や人権が無視されるという国際社会の現実があり、その辺のバランスが非常に難しい問題である。また、コソボの場合に、NATOだけで決定し行動したことが大きな間違いであり、安保理あるいは国連総会の決議によって国連監視の下で行動することがポイントである。
 また、参考人から次のような見解が示された。アナン事務総長は、国家の主権と、個々人の主権という二つの概念の相克をどのように調整すべきか、また、人間をすべての問題の中心に置くべきではないかと提案しているが、個人の保護や人間の安全保障という概念が提示されてから日が浅いにもかかわらず、このような議論がされることは非常に大きな進歩である。また、参考人から、人道的介入の対象となるのは途上国であって、途上国から警戒心が表明されるのは当然であるが、歴史の流れとしては人道的介入の概念があり、次第にそれに向かって活動が変革され、様々な概念や理論がそれぞれの活動を導き、二十一世紀を開く扉になるのではないかとの認識が示された。
 さらに、参考人から次のような見解が示された。人間の安全保障概念自体は明確でなく、また、国際安全保障と人間安全保障問題の概念は必ずしも対立するものではなく、主権国家と人権についても対立概念としてとらえるべき問題ではない。現在の傾向として人道的介入という言葉が使われているが、国連が安保理の決定という評価を通じて状況判断し、対応措置をとることは、国連憲章体制の下では認められる方法であるが、適切であるか否かの問題がある。介入とはいえ軍事行動であるから、軍事行動によって実現しようとする目的よりもそれがもたらす被害の方が大きいのではないかとの認識が示された。

(軍縮)

 軍縮に関し、委員から、国連の役割の中で非常に大きな役割は軍縮であり、国連機構の中に軍縮を議論する組織がもっとあってもよいのではないかとの意見が述べられた。これに対し、参考人からは、次のような意見が述べられた。軍縮は国連の役割の中で重要なものの一つであるが、憲章の中では案外軽く扱われている。ただし、憲章の第十一条では軍備縮小及び軍備規制を律する原則がうたわれており、現実に国連の総会等において軍縮問題が討議されてきた。したがって、国連憲章を改正しなければ軍縮問題を的確に位置づけ得ないということではない。現実には、国連と関連のある十八か国軍縮委員会が現在では拡張されて軍縮会議になっており、またもう一つ国連の軍縮委員会もある。ところが、軍縮条約の作成では、軍備を有する当事国が中心になって条約を策定していくのが現在の傾向である。具体的な削減案であれば関係国交渉で決めざるを得ないような側面はあるが、国連は、当事国が怠っている場合には促進させる態度をとる必要がある。この問題については、国連軍縮総会が何度か開かれ、拘束力はないが詳細な軍縮プロセスについての決議を出している。このような積み重ねは必要であり、二十一世紀にかけて軍縮の全体的枠組みを提示するという点で軍縮総会は非常に良い場である。

(3)「経済・社会・文化」をめぐる論議
(国連大学)

 国連大学については、委員から、国際的な若い研究者や学生が入れるようにすべきではないか、また、実際に受け入れるとなると東京・青山の土地では手狭であるとの意見、国連大学が研究者のサロンになっていないか、学生を採って教育との両輪でその成果を拡大し我が国の若い人たちが国際公務員になるための一つの登竜門として機能する形にできないか、国連大学憲章の改正も含めた改善の余地があるのではないか等の意見が述べられた。これに対し、参考人からは、次のような意見が述べられた。研究と教育が車の両輪であるべきとの指摘については同感であるが、国連大学憲章には大学院レベルの研修を行うことが明記されており、数は少ないが実際に行われている。ファン・ヒンケル氏が学長になってからの二年半、研修活動がかなり拡大されてきた。本部で活動の調整を行い、直属の研究・研修センターでは教育や研修の活動ができるようになっているが、より活性化する必要があると考える。東京・青山の建物は本部としてはよいが、研究・研修センターとしては不十分であり、既存の大学と提携して研修活動を行っている。さらに、昨年から国際コースを設け、国連職員になるための研修を始めた。国際公務員を志望する日本人の若者にも門戸が開かれており、徐々に改善されている。

(ユネスコ)

 ユネスコに関し、委員から、ユネスコの世界科学会議では、貧困、環境、基礎教育等のグローバルな問題を取り扱っているが、UNDP、国連環境計画(UNEP)、ユニセフといった他の国連機関とどのような差があるのか説明が求められ、組織統合的な改革が行われるべきであるとの指摘もなされた。これに対し、参考人からは、次のような意見が述べられた。戦時中のユネスコはヨーロッパにおける教育施設の復興を第一課題としていたが、米国が参画するようになってからは、一般教育、初等教育が重視され、途上国が参加した一九六〇年代以降は、むしろ開発機関に変質し、今のユネスコは余りにも手を広げすぎている。マヨール前事務局長もユネスコが知的協力という原点に戻ることの重要性を説いており、今後ユネスコがどのような役割を果たすべきかについては、参議院の調査会の論議を踏まえて松浦事務局長に提案することが現実的な方法である。日本にとって、ユネスコ事務局との意思疎通の機会や情報チャネルが広くなっており、それを大いに活用すべきである。

(4)「国連の機構・財政」をめぐる論議
(国連改革)

 国連改革については、委員から、二〇〇〇年を大きな節目として大転換する決断を引き出す取組をすべきなのか、二〇〇〇年を二十一世紀につなぐスタートラインとして中期的に取り組んでいくべきかという二つの考え方が提示された。これに対し、参考人からは、アナン事務総長をはじめ一部の加盟国は、ミレニアムの年に大転換すべきとの意向が強いが、他方、熱意の少ない加盟国も混在しているとの指摘があり、そういう中で、我が国は、二十一世紀は国連中心との視点を明確にして行動すべきであり、さらに、各国からの賛同を得て、イニシアチブをとっていくことが新たな世紀における重要なポイントであるとの意見が述べられた。

(我が国の常任理事国入り)

 常任理事国入りに関しては、委員から、国連の幅広い活動や財政に貢献してきた我が国が国連を理想の方向に動かすということも含め、参議院の調査会が安保理改革や我が国の常任理事国入りを積極的に支援する意味は大きいとの認識が示された。これに対して、参考人からは、次のような意見が述べられた。安保理は平和と安全の維持については総会よりも上に位置づけられ、国連の最高意思決定機関であるので、安保理で意味のある活動ができるか否かでは非常な違いが出てくる。我が国の世界における地位から考えれば、国連の中で決定権を持つ地位に置かれることは自然の流れであり、我が国の常任理事国入りについては圧倒的多数の国は支持している。
 また、参考人から、次のような意見が述べられた。日本国際連合学会では、安保理を二十四か国まで増やし、先進国からはドイツと我が国を加えることで合意し、提言を行った。世論調査では、我が国のPKO活動や我が国の常任理事国入りに対し高い国民の支持を得ているが、国際的なアピールはまだ完全ではない。また、拒否権の行使を制限する方向がこれからの安保理の運営であり、常任理事国入りと拒否権の問題は切り離してよいか議論する必要があるが、我が国は必ずしも拒否権に固執する必要はない。
 常任理事国の問題に関して、委員から、ドイツが慎重な姿勢をとっている背景には、イタリアを含めた周辺地域でドイツの相対的評価が高まっていないことにあるとの認識が示された。これに対して、参考人からは、イタリアはドイツの常任理事国入りに反発しているため調整が難しく、インドとパキスタン、アフリカやラテンアメリカでも同様の問題があるとの認識が示されるとともに、我が国の常任理事国入りが、このような問題とパッケージになっているため、現実の調整には時間がかかるとの見方が述べられた。

(国連憲章の改正)

 国連憲章の改正に関して、委員から、二十一世紀を迎えるに当たり、平和主義を大事にした上で、改正すべきものを改正し、新しい感覚の上に立つべきであるとの意見が述べられ、また、改正のためには様々な問題があるが、具体的に話を進めるためには、改正小委員会などの組織をつくるべきとの問題提起があった。これに対して、参考人からは、法とか憲章は時代を経ると状況の変化から実態と違ったものになるため、改正すべきとの意見は確かにあるが、国連憲章は微妙な利害関係のバランスの上につくられており、最小限改正すべき点としては、安保理関係条項の改正と旧敵国条項の削除であり、また、国連全体の構図が大変複雑になっているので、研究者がそれを整理し、国連を分かりやすくする責任があるとの意見が述べられた。

(NGO)

 NGOに関して、委員から、最近NGOや専門家から、例えばグローバルガバナンスとかリンケージという理念的アイデアを提示するなどの活躍がある中で、NGOの役割についての所見が求められた。これに対して、参考人からは、国連で取り扱ってきた問題が国益衝突型の調整に重点が置かれてきたのに対して、NGOは、環境や人権といった国際益、国際社会全体あるいは人類全体の関心事を念頭に置いてアプローチし、そのために国連が何をなすべきかということを提言しているとの認識が示され、また、第二総会については何らかの形で国連に吸収していく必要があるとの意見が示された。

(5)「国連機関の誘致」をめぐる論議
(国連機関の誘致)

 国連機関の誘致に関して、委員から、沖縄への誘致に賛成であり、これには超党派で取り組むべきとの指摘があった。これに対して、参考人から、次のような意見が示された。人権についてアジア太平洋地域に中心的な機関をつくるべきだと考え、日本政府も他国に働きかけているがまとめにくい状況にある。そこで、まず国連人権高等弁務官事務所のアジア太平洋地域事務所をつくり、それを核として、アジア太平洋地域の人権機構をつくるとの現実的な提案を行った。それが支持され、設置国として我が国が浮かび上がってきた。沖縄は、アジア太平洋の中心にかなり近く、また亜熱帯の気候条件にある中で、将来的には人権だけでなく開発や環境の問題も考えると、日本の国土では沖縄が一番適している。アジア太平洋地域の国連の拠点としてバンコクにアジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)があるが手薄であり、人権や環境分野についてもう一つの拠点をつくるのであれば、摩擦を避け、競合しない形で運営できる。

(アジア太平洋地域の議員懇談会)

 委員から、アジア太平洋地域の議員懇談会を設置し、地域の国会議員が年に一度集まって、国連がアジア太平洋地域で抱える諸問題について討議し、国連や世界に向け情報発信できるようになればよいとの意見が示された。これに対して、参考人からは、国際会議を開いてアジア太平洋地域の共通問題を認識して合意を得るというのは大事なことで、日本が中心になって取り組むことは大変良い方向であり、また、国連の代表団の中に外務官僚だけでなく議員を入れ、国連の権限のギャップを解消しようというインゲ・カール女史の提案があるが、委員提案のような議員懇談会を設置し、政治的な根回しを行って、それを国連の場に持っていくことは有効な方法であるが、国連の活動に理解が少なく、国際的合意を壊すような議員の参加は困るとの意見が述べられた。

3 委員の意見表明

(1)国連の理念をめぐる論議
(国連の理念)

 国連の役割の重要性について、冷戦終結後の世界において、地域紛争、地球環境、人口問題など一国だけでは対処できない諸課題に取り組むためには、国連とその関連機関を通じる取組が不可欠であるとの意見、国際社会が抱える様々な地球的規模の問題に国連が果たすべき役割が極めて大きいことは論を待たず、国際の平和と安全の維持についても将来にわたり基本的に国連の重要性は変わらないとの意見、世界の安全と平和に取り組んでいけるのは究極的には国連であり、国連は不可欠の機構であることを改めて認識すべきであるとの意見が述べられた。
 また、この五十余年の間に、国連がその平和維持機能を十分に発揮し得たかという点では疑問なしとしないが、もし存在しなかったとすれば、世界の混乱は想像を絶するものがあったのではないかとの意見、また、国連憲章は、平和主義に徹し、戦争に対する憎悪感が極めて理想主義的に述べられており、冷戦構造が崩壊し、二十一世紀に入ろうとする現在、改めてこの国連憲章を見直す必要があるとの意見が述べられた。
 今後の国連の在り方について、国連が、冷戦終結後の国際情勢に対応し得る機構となるには、我が国をはじめとする加盟国のたゆまざる努力が不可欠であるとの認識が示されるとともに、二十一世紀には、平和、開発、人権などの諸課題に包括的に取り組んでいく観点から、貧困撲滅を柱とする経済開発と社会開発、ガバナビリティーの確保、紛争予防、紛争後の開発の分野で積極的に施策を実施していく必要があるとの意見、個々の人権を尊重し、貧困、病気、迫害、暴力等から守るという視点に立った人間の安全保障の考え方が重要であるとの意見、国益よりも人類益を優先させるような潮流をつくる努力も必要との意見が述べられた。

(国連外交)

 我が国の国連外交について、我が国は国連の幅広い活動に積極的に取り組み、実質的な財政貢献は米国を抜き世界第一位であるが、国連の中で国際社会の主要国にふさわしい地位等が与えられていないことも事実であり、我が国の安全と繁栄に密接不可分な世界の平和と繁栄を実現していく上で、国連に対し財政面のみならず知的貢献や人的貢献を今後一層強めていくことは、世界の信頼を集め、ひいては我が国の国益にもかなうとの意見、また、我が国は平和維持活動や環境、飢餓、難民、医療といった人道的で平和につながる国際貢献に積極的に取り組んでいくべきであり、「品格のある国際平和国家」を目指すべきではないかとの意見、通常兵器の移転登録や対人地雷の禁止のような問題に平和国家である日本が絶えずイニシアチブをとり、それによって実績を築いていくことが重要との意見が述べられた。
 また、我が国は、歴史の教訓をいかして国連機能を改めて認識し、それを強力にするために積極的に参画すべきであり、国連中心主義を明確にして、安保理常任理事国入りを目指し、経済的貢献や、PKOを含む国連の下における人的貢献についても法改正を含む広範かつ積極的な対応が必要であるとの意見、国際機関における様々な政策決定が我が国の内政と極めて緊密な関係を持つ傾向が増大しているため、国際機関の政策決定に注意を払い、必要な場合には我が国の国益を守るために影響力の行使が的確にできるようにしておくべきとの意見、国連機関に対する全体的な政策の体系化を健全な政治的な指導力に基づいて確立する必要があるとの意見が述べられた。
 国連の改革に関して、我が国は、国連を二十一世紀の課題への挑戦に耐え得る機構にするため、これまで以上にその内側に深く飛び込み、提言し、行動する国となり、国連中心外交を実のあるものにすべきとの意見、国連が二十一世紀の諸課題に適切に対処することは、自国の繁栄の基盤を世界に依存する我が国にとって不可欠なことであり、二十一世紀への節目となるこの機会に、これまでの国連の現状を検証しつつ、具体的な提案と行動が求められているとの意見が述べられ、さらに、国連ミレニアム総会は今後の国連の在り方を決する分水嶺になると考えられるので、我が国は国連改革について最大限の努力を行うべきであり、沖縄サミットや二国間首脳会議などあらゆる機会をとらえて国連改革に向けた我が国の決意と展望を訴える必要があるとの意見が述べられた。
 また、国連を活性化させるためには米国の存在が不可欠であり、国連改革の実現に向けて、我が国は米国に粘り強く働きかけていくべきとの意見も述べられた。

(旧敵国条項)

 旧敵国条項は二十世紀中に改正すべきであり、条項削除の手続の着手を求めた国連総会決議が九五年に採択されていることを踏まえ、加盟各国に強力に訴えるべきとの意見が述べられた。

(2)「平和・安全」をめぐる論議

 第二次世界大戦の終結間近に起草された国連憲章は、二度にわたる悲惨な戦争の惨害を繰り返すまいとの精神に基づき、平和主義をうたっているが、その後の朝鮮戦争やその根底にある米ソ冷戦構造のために、平和主義が実らない場面が多かったとの視点が示され、冷戦構造が崩壊し、二十一世紀に入ろうとする現在、この理想主義的な平和主義を掲げる国連憲章を再確認しなければならないとの意見が述べられた。
 また、冷戦終結により紛争の性格が大きく変化してきている今日、国連の大きな課題は、広い形で平和や安全の問題を考え、永続する平和を地域や社会の中につくり出すことであるとの意見が述べられた。

(紛争の解決と予防)

 紛争の解決と予防において、国連の集団安全保障メカニズムがその実効性を発揮し得るよう、特に安保理決議の履行確保などに対して、我が国は引き続き可能な限りの協力を行うことが必要との意見が述べられた。
 また、冷戦終結後、多発する地域紛争に対して国連は必ずしも有効に対処できておらず、紛争の予防・解決から平和維持、平和構築、さらには貧困など紛争の潜在的要因の除去までを含めた対応が必要であるとの意見、民族や宗教など様々な背景を持つ地域紛争に対してはその背景を考慮しながら、地域的グループを活用して対象プロジェクトごとに対応することが必要であるとの意見が述べられた。
 さらに、紛争後の平和構築においては、緊急人道援助から長期的な開発援助まで国際支援が途切れることなく行われる必要があり、我が国はこうした課題への貢献を強化する必要があるとの意見が述べられた。

(軍縮と不拡散)

 国際的な緊張のレベルを低下させるため、核不拡散・核軍縮に関する現実的かつ具体的な措置を積み重ねるとともに、生物・化学兵器の問題やミサイルなどの運搬手段に関する問題、紛争の発生や激化を防ぐ観点から対人地雷や小火器の問題にも取り組むべきとの意見が述べられた。
 また、国連を中心とした軍縮会議は存在するが、国連の機構として、軍縮、特に核軍縮に取り組んでいくことが大切であり、国連に軍縮問題の理事会を設置すべきとの意見、米露によるSTARTIIやIIIなどの二国間交渉では核廃絶につながる可能性は低いので、国連の場で核軍縮を中心とした軍縮を進めるべきとの意見が述べられた。

(国連憲章と武力行使)

 人道的理由で行われたNATOによるユーゴ空爆は、コソボで大量虐殺が行われていることに対して、国際社会は手をこまねいていてよいのかとの大宣伝の下に仕組まれた戦争であり、国際社会の多数の国が、国連憲章の原則や目的を守るべきとの声を上げていると指摘した上で、国連憲章の定めた平和のルール、五十年余の国際社会の中で確認されてきた平和の秩序を守ることが肝要であり、国連には検討されるべき問題点があることも事実ではあるが、国際の平和と安全の根幹にかかわるこの原則を確固として擁護することが重要であるとの意見が述べられた。

(国連平和維持活動)

 PKO活動への協力について、コソボや東ティモールには紛争解決後、軍事部門から行政部門に至る幅広い任務を有する国連平和維持活動が設置され、その活動を展開しているが、我が国はこうした活動を積極的に支援し、人道支援、復興支援を引き続き行っていくべきであり、さらには、PKF本体業務の凍結解除などを行い、PKOへの人的貢献を今後一層充実強化していくべきとの意見が述べられた。

(3)「経済・社会・文化」をめぐる論議

 環境、人口、貧困、飢餓、人権侵害などの課題における国連の業績として、国際年の制定による人権問題の提起、UNEPやUNDPなどの創設、国連環境開発会議の開催、地球温暖化防止条約など様々な条約の作成等が挙げられ、各国の世論が喚起され、政策や取組に非常に大きな影響を与えたとの認識が示された。

経済
(開発)

 先進国と開発途上国が、建設的な対話・協力を通じて、開発問題に取り組もうとする新たな機運が生まれてきており、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会が九六年に策定した「新開発戦略」を推進し、開発資金の手当てを幅広く検討するとともに、貿易・投資から人づくりまで開発政策を包括的に検討し、開発の効率性を高める必要があるとの意見、開発途上国自身による主体的な取組を尊重し、援助受入国、国際機関、援助国、NGOなどとの間の連携と協力を更に推進する必要があるとの意見が述べられた。
 アジアやロシアにおける経済変動が世界に及ぼした影響を踏まえ、国連はグローバル経済についての適切な基準とそれに適した規制に取り組んでいくべきであるとの意見、世界の課題は軍備拡大や戦争につながる防衛ではなく、貧困の撲滅や健全でバランスのとれた経済発展であるとの意見が述べられた。
 国連の経済分野における活動に対する我が国の貢献に関しては、厳しい財政状況を踏まえた上で、国連や国連機関を通じる開発協力に資金や技術面での貢献をより効果的に行うべきとの意見が述べられた。さらに、第二次世界大戦の影響の残る国連の中で、日本の活動が他国から自然な形で受け入れられるには、平和の中で培ってきた経済力を活用し、アジア諸国に対する人材育成、資金援助を行い、地域でのリーダーシップを確立していくべきであるとの意見が述べられた。

(地球規模問題)

 国境を越えて個々の人間に直接の脅威を及ぼす地球規模の問題には国際社会全体での取組が必要であり、我が国は、貧困、飢餓の原因そのものを取り除くための地球規模の枠組み・政策づくりにリーダーシップを発揮し、世界のNGOと連携を図り、ODAの質の向上によってグローバルガバナンスを推進していくべきとの意見が述べられ、特に、人口やエイズの分野で、途上国支援を継続する必要があるとの見解が述べられた。
 地球環境については、地球温暖化防止に関する「京都議定書」の早期発効に向けた努力を求め、ODAを中心とする包括的な環境分野の協力を引き続き実施すべきであるとの意見が述べられた。

社会
(人権)

 冷戦の終結によって民主主義は普遍的な価値となったが、その基本要素である人権の重要性にかんがみ、アナン事務総長はこれを活動プログラムの五つの柱に位置づけ、分野横断的なものとして扱っており、人権は、平和と安全を守るためにも、開発協力を進める上にも不可欠なものであるとの認識が示された。
 国連による人権問題への取組と我が国の協力に関して、我が国が他国の立場を理解し、西洋流の「施し」ではなく自助努力を促す援助を実施してきたことは評価されてしかるべきとの意見が述べられる一方、洋の東西、マルチ、バイを問わず、内政不干渉の原則に配慮しつつ更に人権外交への取組や国際貢献に関する議論を深める必要があるとの意見が述べられた。さらに、我が国は経済社会理事会の人権委員会、国連人権高等弁務官などによる国連の取組や、法整備や司法・行政制度の充実、民主的選挙が実施されるための支援策などに、今後とも継続して取り組んでいくことが必要であるとの意見、女性の地位向上等の問題にも引き続き積極的な取組を行う必要があるとの意見が述べられた。

(人道支援)

 地域紛争の発生や天災地変による難民・避難民の発生など人道面での緊急事態への対応や、紛争後の円滑な復興・開発への移行は重要な課題であるとの認識が示され、世界各地の難民・避難民の問題に対し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などを中心とする取組を引き続き積極的に支援していくべきであるとの意見が述べられた。

文化
(文化の摩擦と対話)

 冷戦後の地域紛争多発の背景には、人種、宗教、文化の複雑な対立があって、グローバリゼーションの進行に伴い文化の摩擦が生じやすくなっており、文化の多様性への配慮が不可欠であるとの認識が示された。また、二〇〇〇年は「平和の国際文化年」であるが、この中心的担い手であるユネスコ事務局長に松浦駐仏大使が選出されたこともあり、我が国は国連の文化面での取組を強化、支援する必要があるとの意見が述べられた。

(国連大学等の活性化と活用)

 国連大学は、人類の存続・発展等にかかわる世界的規模の問題を研究する学者や研究者の国際共同体と位置づけられているが、学生がいないために活力に欠け、国連のシンクタンクとしての機能も十分でなく、国連システムの中で果たすべき役割が必ずしも明確ではないとの評価が述べられ、我が国は国連大学の設立に決定的な役割を果たし、現在も財政面を含め多大な支援を行っているが、一般国民にはその存在すら知られていないのではないかとの見方が示された。その上で、国連大学の存在と活動内容を国民に知らせることが急務であり、若い研究者や学生を取り込み、研究と教育の両面において大学を活性化する工夫をすべきとの意見、国際公務員の育成、日本やアジアの文化やその視点を国連等に向けて情報発信できる場に発展させるべきであるとの見解が述べられた。
 なお、国連大学ビルには、現在、国連大学本部のほか、国連諸機関の駐日事務所が所在するが、同ビルの八階にある国連広報センターを一階に移し、国民が利用しやすくするとともに、インターネットによる情報発信の充実など広報の飛躍的な充実を図るべきとの意見も述べられた。

安全保障理事会

 安保理改革と我が国の常任理事国入りの関係について、国連の紛争対処能力の向上には、安保理の機能強化のための改革が必要であり、我が国は、改革の実現に向け積極的に働きかけていくべきとの認識が示され、その上で、「平和・安全」から「経済・社会・文化」に至るまで多岐にわたる国連の活動に積極的に取り組み、財政面でも世界一の貢献をしてきた我が国が安保理常任理事国の地位を得て、国際の平和と安全の維持に主要な責任を果たし、国連を我が国の理想とする方向に導いていく努力が必要であり、それにより、国際社会の期待に幅広くこたえ、納税者たる国民への責任を果たし、二十一世紀の日本の国連外交をより実のあるものにすることができるとの意見が述べられた。
 一方、我が国の常任理事国入りの問題は、重要なテーマであるが同時に慎重な対応が必要であり、アジア太平洋地域を代表する立場から、これらの諸国の合意を得ることが前提であり、その環境整備を図っていかなければならないとの意見が述べられた。
 また、安保理の改組・改革は必要であり、我が国の具体的な問題提起は大切であるが、常任理事国入りの意図をちらつかせることはかえってマイナスになるとの意見、世界から推されて平和な国の日本という形で自然に入っていくことが今後の活動のためにも極めて大切であるとの意見が述べられた。
 なお、常任理事国、非常任理事国の拡大など憲章改正を必要とする安保理改革の実現は極めて困難であるとの意見も述べられた。

国連と市民社会・NGOとの協力

 二十一世紀の国連は、NGOをはじめとする市民社会との連携、パートナーシップがますます重要になるとの認識が示された。その上で、国連が本来の機能を取り戻すためには、市民社会との連携強化と国連の機構改革が同時並行的に進められるべきであるとの意見、市民団体が様々な問題を提言し、政策決定に参加できるシステムをつくるべきであり、国連NGO総会のような枠組みの創設は検討に値するとの意見、NGO等とのパートナーシップの涵養の方法、国連の機能強化にふさわしい市民社会の参加分野について更に検討すべきとの意見が述べられた。
 また、国連関係機関とNGOを連携させ、かつ理念に裏づけられた政策を実施することによって、国際社会に対する我が国の貢献が初めて顔の見えるものになってくるとの意見、国連の諸活動におけるNPOの役割を重視し、その活動を支援する措置の充実が重要であるとの意見が述べられた。

職員・人事
(邦人職員の増加と昇進)

 国連がその目的に沿って行った合意を現実に履行する上で、国連事務局による人材・組織・財源の適正な運営と管理は重要な課題であり、我が国もこうした面で更なる貢献が求められているとの認識が示された。また、通常予算分担率に見合った邦人職員が国連機関の中で十分確保されておらず、日本人職員で国連の政策決定に関与できる課長級以上のポストは極めて限られた状況にあり、職員の衡平な地理的配分への十分な配慮を引き続き求めていく必要があるとの意見が述べられた。また、国連の人事政策については、IMFや世界銀行並みの客観的人事評価システムを導入し、日本人職員が一人でも多く上級ポストに昇進できるよう国連の人事政策改革に積極的に参画すべきとの意見が述べられた。さらに、我が国では、邦人職員を官民が協力しながら育て、かつ送り込む戦略的な仕組みが十分確立されていないとの認識が示され、これからはNGOや民間人の活用を計画的に実施していく必要があるとの意見が述べられた。

(人材育成)

 国際機関で通用する語学力や管理能力を有する人材を育成し、発掘するために、国内体制を整備する必要があること、また、現在、国際関係の大学院が次々に設立されているが、そのプログラムの専門性を高めハイレベルの人材を送り込むべきであること、特に女性は有望との意見が述べられた。また、大学に国際公務員養成コースをつくり、また外務省職員の中からある割合は国際公務員に振り向け、実践の場でのトレーニングを重ね、任務が終え帰国してきたときには、国内で厚遇する道を開いていかなければ、志望者は増加しないとの意見が述べられた。
 さらに、国連の高官経験者は憧れの対象であり、その経験に関心を抱いている人は多数いるとした上で、大学で教えている者には希望学生を吸い上げる力もあるし、国連プロパーの職員及びOBの情報交換を促進すれば適材適所がもっと実現するのではないかとの意見が述べられ、また、明石氏や緒方女史などの高官経験者を会長に国連OB会のような非政府組織をつくり、外務省とは別の系統で、優秀な日本人を国際機関に送ってはどうかとの提案がなされた。

財政

 国連予算の効率化の推進が重要であり、安定した財政基盤確保には、まず主要国がその滞納を解消する努力を払うべきであるとの意見、米国に対し分担金の支払を説得していくべきとの意見が述べられた。
 一方、我が国は通常予算分担金の支払という国連憲章上の義務を果たすとの立場であり、公正な負担と負担に応じた責任との観点からこの問題に取り組むべきであり、少なくとも常任理事国やそれに準ずる国は、一定の固定負担と経済の実力に見合った応能主義に基づき負担すべきとの意見が述べられた。
 また、厳しい経済・財政事情の中で、国連を含む国際機関への財政負担に批判的な目が向けられているが、政府は国際機関への拠出を一元的に管理しておらず、立法府がその全体像を明確かつ透明性の高いものにし、国連関係機関に対する全体的な政策体系を健全な政治的指導力に基づいて確立していく必要があるとの意見が述べられた。

国連総会

 国連総会の機能を強化し、財政問題の解決等について総会で決定できることが重要であるとの意見、市民活動の活力を取り入れるため、NGOの意見をくみ上げられる組織にすべきとの意見が述べられた。

経済社会理事会

 我が国は経済社会理事会の実効性を高め、経済・社会・文化分野の国連改革の推進に今後一層努力していくべきであるとの意見、また、開発関係の国連機関の間や本部と現地レベルでの調整、国連とIMF・世銀やNGOとの間の連携を一層強化する必要があるとの認識が示された。

信託統治理事会

 信託統治理事会は廃止すべきとの意見が述べられる一方、同理事会の役割は一応終わったが、自力で政府を構築できない現象が発生しており、この新しい事態に対して同理事会の模様がえをして対応してはどうかとの意見が述べられた。

(5)「国連機関の誘致」をめぐる論議

 国連機関の誘致は、国連及び他の加盟国の目に見える形での貢献であり、国連の政策決定に日本やアジアの視点を反映し、情報発信を行う機会になるといった意義があることから、バンコクのESCAPとの競合に配慮しつつ、日本国内、例えば沖縄に国連事務所を設け、アジア太平洋地域の人権、環境、開発、軍縮、飢餓などの課題に取り組むべきであるとの意見が述べられた。
 また、議員懇談会の設置について、各国の議会人がそれぞれの国民の様々な意見を代表し、国連の取り組む地域的な課題について意見を交換し、地域におけるプレゼンスに対して意見を表明することは、国連の地域活動の実効性をより高めるものとの認識を示した上で、地域一円の国会議員が年に一度参集し、国連のアジア太平洋地域で抱える諸課題を討議し、また、国連や国際社会に向けた情報発信を行うアジア太平洋地域議員懇談会を設置すべきとの意見があった。

二 東アジアの安全保障

中国情勢について

(一)参考人の意見の要旨
○中江 要介(元駐中国大使)
(はじめに)

 日中関係や中国の将来について、敵視、対抗、協調、友好といかなるイメージを持っているかによって、それぞれの人の中国問題への対処の姿勢が違ってくるということを痛感している。私は、少なくとも協調、できれば友好関係が望ましいという姿勢である。
 日中関係では、台湾問題と歴史認識問題の二つがある。歴史認識問題は日中二国間の問題であるが、台湾問題は、米国の戦後の極東あるいは東アジア戦略の中の台湾の位置づけが問題であり、第一義的には、中国の問題であり、そうでないなら米中間の問題である。

(中国はなぜ対日賠償を放棄したか)

 日中間の歴史認識問題について、中国は、なぜ対日賠償を放棄したか。日中共同声明第五項には「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」とある。中日友好のためであるから、友好が実現されないならば、賠償を放棄する用意はなかったと理屈の上ではなる。日本側に日中友好に対する姿勢の陰りや間違いが出てくると、賠償放棄について黙っていられないという中国側の姿勢が出てくることが暗に示されていることが分かるが、もう一つ問題がある。日中国交正常化に当たって、中国の指導者が賠償を請求しないということをいかに中国人民に納得させるか、周恩来が主として組み立てた論法が問題である。その理屈の第一は、戦争では日本人民が中国人民に害を及ぼしたのではなく、一握りの日本の軍国主義者が、日本人民を戦争に巻き込んで、中国に被害を与えたのだから、損害について責任を持つべきは一握りの軍国主義指導者であるとした。その結果として、中国人民は、日本人一般から賠償を取ることは本意でないという発想になる。そう割り切ったからこそ七二年に日中正常化が行われた。もし中国側が賠償請求したら、田中総理は日中正常化に踏み切ることはなかったと思う。

(靖国神社公式参拝はどこが問題なのか)

 そこで問題は、その一握りの軍国主義者はどこにいるのか。日本は、サンフランシスコ平和条約で東京裁判の受諾を約束した。憲法第九十八条に基づき国際約束を忠実に履行するならば、判決についての文句は、政治的には許されないということが基本にある。
 中国は、東京裁判の結果出てきたA級、B級、C級戦犯の戦争責任を追及しなければ、周恩来の論理とは両立しなくなるので、個々人の参拝は問題ないが、内閣、総理、閣僚として靖国神社を参拝することによって戦犯の名誉を回復することを意味するようなものであるならば中国としては認められないという態度であった。八五年八月十五日、当時の中曽根首相が靖国神社を公式参拝し、韓国、中国から猛烈な反発が出た。同年十二月八日、私がこの問題について胡耀邦総書記と交渉した。その際、胡耀邦は、A級戦犯だけでも靖国から外せば世界のこの問題に対する考え方は大きく変わるだろうと言った。これは中国の見方も変わるということを暗に意味していると受け取った。つまり、A級が合祀される靖国神社を日本政府の代表者たちが参拝することが問題であるとの認識を示していたのである。
 もう一つ、また誰かが靖国神社を公式参拝したらどうなるかということについて胡耀邦が非常に憂慮したのは、靖国神社の問題で日中関係がこじれることを喜ぶ第三国がいるということであり、警戒心を示していた。

(中国人民抗日戦争記念館は何を訴えているのか)

 靖国神社公式参拝問題を裏づけるのが、中国人民抗日戦争記念館である。日本の侵略を非難し日本人を悪く訴えるようなこの記念館を参観した中国の学生たちは、日中友好は無理だとの感情を持ち、参観の最後で、このような日本だけれど、田中訪中により日中正常化され子々孫々の友好を約束するに至ったとの記述と日本国憲法、特に第九条を見る。ここで中国の若い世代に新しい平和の日本を印象づけた後、前のことを忘れずに後の戒めとするという中国のことわざが書いてある。これが中国の日本に対する戦争責任の追求とその後始末をどう考えるかということの象徴的意味である。

(江沢民発言は金大中効果か)

 江沢民主席が訪日し、歴史認識を言って反感を買ったときに、金大中効果ということが言われた。中国は、韓国に対して謝罪声明の文書が出て、なぜ中国に出ないかという論法をとり、日本の多くのマスコミがそれに乗ってしまったのは見識がなかった。日韓基本条約には、戦争に対する反省や謝罪の言葉がないために文書が出た。
 中国の場合は、日中共同声明の中で、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」と明言しているのであるから、韓国の場合とは事情が違う。

(歴史認識が問われる原点はどこにあるのか)

 歴史認識が問われる原点は何かということについて、カイロ宣言第三項、ポツダム宣言第四項、八項、十項、共同声明の前文の五項、平和友好条約の前文の三項、日本国憲法第九十八条二項を読めば理解できる問題である。

○国分 良成(慶應義塾大学法学部教授)
(はじめに-「中国」理解へ向けて)

 中国論あるいは中国を理解することの難しさを考えてみたい。それは、中国自身の不透明性、あるいは我々がどう中国を認識すればよいのか分からない側面があるからである。
 中国の表現は強く、原則を繰り返すようなこともあるが、実際の行動は極めて現実主義的である。したがって、中国の行動、発言をきちんと分析し、中国の中からの視点で考えていかないと中国を認識できない。

(矛盾の現段階)

 現在の中国の矛盾の第一は、社会主義市場経済である。社会主義の基本は、公有制の維持である。土地は全部国家のものであり、中国共産党の一党支配が原則である。しかし、私有制を認めない市場経済が本当に可能なのか、中国の経済界での論争になっている。
 第二は、改革・開放である。国内改革が先か、市場開放が先かということであるが、現在の中国は、どちらかと言えば開放の方に力点がある。朱鎔基首相をはじめとした現主流派は、グローバリズムに直面する中で、市場開放によって国有企業改革を行うとする考え方である。基本的にはグローバリズムは止められないとの認識の中でWTO加盟を決断している。
 第三は、一国二制度である。香港、台湾、少数民族の自主的な権利の問題が意味するものは、全体の国家としての一体性である。現在の中国は国家主権を強調しているが、国家の一体性そのものに大きな問題が出始めている。同時に、中央集権化についてはほぼ手放し、全体的な流れは地方分権に向かっている。税金にしても、大体六対四の割合で地方の税収が多い形になっている。中国の現況を経済的に理解すると、沿海地帯と内陸では大きな格差があるので、単一市場として考えることの難しさがある。中国は国民国家としての維持を強調するので、このバランスをどうとるかがますます問題になる。
 第四は、中国の最大の悲願である富強である。富は近代化をあらわし、強は強大な統一国家をつくることである。富の部分に力点を置くと、国家的な一体性に問題が出てくるし、国家的な一体性に強調点が置かれると、社会主義的平等を重視する結果として、国家としての成長がない。国家の規模が大きすぎたり、富を有効に分配するメカニズムができていないので、政治体制とも関係するが、富強の二つがバランスを失いかけている。全体として不均衡が拡大すると、それを調整する動きとして、ナショナリズムに対する訴えが出てくる。ナショナリズムは直接愛国主義にはならないが、ここでは、国家としての一体性、中国共産党の指導性が強調される。今、中国はグローバリズムに直面しているが、中国の価値や精神文化をどう維持するかで、深刻な議論が展開されている。

(「主要矛盾」の存在)

 主要矛盾の根幹は究極的には中国共産党政府の政権の維持と安定である。矛盾の拡大は、国家と社会の乖離現象を引き起こしているので、どう一体化させるかが課題である。
 現在問題になっているのは、政治的な凝集力が欠如していることであり、政治腐敗である。政治腐敗の蔓延は、中国共産党に対する信頼感に非常に大きな疑念を持ちかけている。中国共産党の政権を維持しながら、その中でどう政治改革を行うかが最大の悩みになっている。民主化を求めながら、中国共産党という国家の一体性の保持には疑問が出ざるを得ず、その結果、暴力装置に頼らざるを得ない現象が起こっている。国内の治安の目的のために、暴力装置で抑えるのは極めて不健全な形である。
 政治に手がつけられないとすれば経済成長路線を目指すしかない。中国のここ二十年間の成長は、ほとんどが外資(貿易と直接投資)によるものであった。ところが、その外資が今非常に減っているので、中国にとっては非常な痛手である。中国は沿海の経済成長を内陸へ展開するため、今年から西部開発に取り組んでいるところであり、WTO加盟と西部開発が一対になって出てきている。
 中国共産党の正統性の問題であるが、今問われているのは、現在の正統性である。換言すれば、国民の民主的で、生活の豊かな社会をつくれるかどうかである。

(むすび)

 中国共産党政権は、今後もしばらくの間はこのような状態が続いていくであろう。矛盾が拡大していきながらも、依然として暴力装置に頼らざるを得ないところはあるが、国家としての一体性、既得権益も出来上がったので、若いエリートたちも今の体制を壊したくないという人たちがいる。そういう意味では、国家の一体性がばらけるような事態に対しては反発が強いであろう。政治的な革新が行われるかどうかは、なかなか難しい。
 そうなると、経済成長に頼ってくる。昨年の夏以来、日本に対してもかなり柔軟な政策をとっている。経済協力もあるが、日本の経済成長、日本の経済の回復が中国にとってもプラスになるということを中国自身が認識しているもので、これは健全な方向である。
 平和で安定して、豊かで、民主的な中国が日本の国益にかなう。時間がかかるであろうが、できるだけ中国がソフトランディングすることが日本の国益にかなう。
 そういう意味では、今の中国とどうつきあうかということを真剣に考えなければならない。それは、十年後の中国とつきあうことにつながってくる。中国で大きな世代交代がこれから始まろうとする中で、中国の大きな転換が起きてくるので、我々は一体どうつきあうかということを真剣に考えるべきである。

(二)主な論議

(1)日中関係をめぐる論議

 委員から、日中間においては、国交回復後二十年以上経過したにもかかわらず、双方の認識の読み違えにより関係が冷え込む状況にあり残念であるとの意見が述べられ、相互理解を深めるために何をすべきかについての所見が求められた。これに対して、参考人は、二十世紀前半に日本が中国に対し行ったことについて十分な知識と理解と反省がない日本側の発言や行動等に対して、中国側が理解できない問題が出たときの日本人の対応の多くを中国の立場から見ると物足りない感じがし、相互理解の不足は依然あるとの認識を示すとともに、日中の相互理解のためには、マスメディアは共同宣言や条約などを勉強し、また、これからの世代はより勉強し、理解した上で中国と議論してほしいとの所見を示した。
 また、委員は、中国の今日の歴史教育の目的が、中国共産党の指導性にかかわる正統性を裏づけることであり、それが反日感情の素地をつくっているため、日本の立場としては中国の主張を受け入れられない部分があるとの認識を示した。これに対して、参考人は、歴史認識問題は、本来問題にならないものを日本側が問題にさせてしまったために中国がそれをカードとして使うという側面があり、日本側の行動を反省せずに、中国の教育を非難しても、中国は聞き入れないとの見方を示すとともに、特に重要な地位にある方は、国際常識に基づいて、発言の善悪を判断する能力を持つよう要望した。

(2)米中関係をめぐる論議

 委員から、東アジアの安全保障問題について、短期的には北朝鮮問題であるが、長期的には中国問題であるとの見方が、日本だけでなく米国でも大勢であるとの指摘を行い、また、海外派遣の調査から、米国では、中国が米国の敵ではなくパートナーになることを望んでいるとの意見、日米は安保上の共通点を理解し、その連携を確固たるものにした上で、中国との関係を建設的なものにしなければならないとの意見、世界が自分たちのために存在するとの考えを持つ中国とのつきあいは容易ではないため日米が協力して中国に向き合うことが重要であるとの意見があることを紹介した。さらに、日米関係は重要であるが、米国にとって日本は、中国に関与するためのパートナーであり、東アジアの安全保障を確保するためには必ずしも絶対的な米国のパートナーではない、二十一世紀は中国の時代であり、米国の真の戦略的なパートナーとしては、中国を念頭に置いているとの意見を述べた。

(3)中国の内政事情をめぐる論議

 中国に存在する「矛盾」について、委員からは、心配しつつ注目しているとし、中国の三講運動が「矛盾」をいかに克服するかという悩みの中から出てきたのではないかとの認識を示した。これに対して、参考人は、ある種の閉塞状況の革新をいかに行うかについて中国の人々は悩んでいるが、一つの突破口がWTO加盟であり、これによって、中国が経済分野や政治分野でも変わっていき、透明性の増した社会に移行することを待つしかなく、中国とのつきあいは長期的に考えるべきとの認識を示した。
 また、委員から、中国の社会主義市場経済及び民主化の展望について見解が求められた。これに対して、参考人は、中国はWTO加盟という市場経済化の決断をしたが、その道は平坦ではないとの認識を示すとともに、中国は、国内に成長エンジンを持たないが、政権の正統性の問題もあって市場経済化せざるを得ず、市場経済の成否はすべて中国の政治的決断次第であり、長期的にはこの方向に進むことは間違いないとの見方を示した。また、参考人は、中国の民主化について、既得権益を有する者が長期的課題としてとらえているため、楽観できないとの認識を示し、市場経済化に伴う政治的な体制問題を抜本的に改革できる唯一の可能性は、中国共産党内の民主主義にまず着手することであるが、中国の人々が一番警戒しているのは、少数民族地域や台湾などすべてを失うことであって、依然として国家的一体性を保つことに優位性を置いているとの見解を示した。
 中国の政治改革の行方と世代交代について、委員から、日米による対中関与政策は、改革・開放政策への支援によって、経済的・政治的な改革を促し、中国が周辺諸国と共存し得る責任ある国家に将来構築されていくことを目的としているが、短・中期的には所期の目的を達成できないケースも認められるとの見方が示され、長期的な期待が、短・中期的には逆効果をもたらすというパラドックスを、江沢民の次世代の指導者層がいかに認識し、また、それを克服できるかについて意見が求められた。これに対して、参考人は、中国の若い世代の中には、中国に現存する問題を客観的に考えられる人が多いであろうとの予測を示すとともに、世代交代に伴い政治改革が行われるか否かについて結論を出せないが、その過程で江沢民政権が大きく政治改革に踏み出す可能性は非常に低いため、経済の刷新がどの程度進むか不安が残るとの意見を述べた。

(4)台湾問題をめぐる論議

 台湾問題の平和的解決について、委員から、中国が台湾の住民の支持や共感を得るという要因と平和的解決との関係についての意見を求めるとともに、平和的解決という言葉の意味が問われた。これに対して、参考人から、台湾海峡を挟む問題は、第一義的には中国の問題で、二次的には米中の問題であり、日本にとっては中国の内政問題である、国連の代表権がかわった際に、中国を代表する唯一の合法政府は中華人民共和国であると世界が認めたので、中国を代表する政府は一つしかないことは明らかであるとの見解が示された。また、平和的解決については、参考人から、中国の武力行使を真に受ける必要はなく、米国などの国が余計なことをしなければ、中国も台湾も力に訴えるという立場には立っていないとの見解が示された。
 日米両国の台湾に対する対応について、委員から、米国は台湾に対して軍事行動を起こし得る仕組みがあるが、日本の場合は違っており、日米では台湾に対するアプローチが異なるとの認識が示された。これに対して、参考人から、第一に、中国は台湾独立を阻止するため武力行使を放棄していないが、国際非難により海外からの直接投資が激減することは問題であるので、武力演習はできない状況にある、第二に、中国が抱える多くの問題の中で、台湾問題が占める比重については、総統選挙の際の中国の団結ぶりを見れば明らかである、第三に、陳水扁氏は独立派の出身だけに、むしろ反独立とのバランスを取らざるを得ないという側面があり得る、第四に、危機に備えるため、米国との政策対話はきちんと行うべきであるが、民間レベルを中心とした日米中の対話を広げていくことが必要であるとの意見が述べられた。

(5)朝鮮半島情勢をめぐる論議

 朝鮮半島情勢について、委員から、南北首脳会談開催についての中国の受け止め方についての所見が求められた。これに対して、参考人から、中国の外交政策は、二十一世紀半ばまで国づくりに専念することにあり、朝鮮半島が話合いによって落ち着くことは大歓迎であるとの意見、また、北朝鮮と国境を接する中国の国益は、朝鮮半島の現状維持であるとの意見が述べられた。
 北朝鮮に対する日米韓の対応について、委員から、日米韓の協力関係が重要であり、北朝鮮の変革のために自由社会の良さを理解させ、時間をかけて変革に関与させていくことが重要であるとの意見が述べられた。
 委員から、北朝鮮に対する中国の影響力等について、中国は北朝鮮との対話内容を明らかにしないので不明であり、中国は北朝鮮との対話の内容をペリー調整官に明らかにしないので分からないとの米国の見方が紹介された。
 ペリー報告書について、委員から、現時点では宥和政策をとる方が日本を含めた北東アジアの安全にとって良い判断であるという結論が米国の外交担当者にあったのではなかろうかとの認識が示されるとともに、米国と韓国は、北朝鮮の瀬戸際外交の無法な要求には毅然とした態度で一切応じないが、それ以外はできるだけ要求をのんでいくことが北側の暴発を防ぎ、短期的、中期的には平和の維持につながるという結論を出したものと受け止めているとの認識が示された。

あとがき

 七か月後には新たな世紀を迎える。本調査会は三年間にわたる調査活動のテーマを「二十一世紀を迎える世界と日本-我が国の果たすべき役割-」とし、二年近くの調査を行ってきた。
 本報告書の冒頭でも述べたように、本年九月には、国連においてミレニアム総会及びミレニアム・サミットが開催されるが、それに先立ち、国連の協賛の下、各国議会の代表を結集するIPUの主催により世界議長会議が初めて開催される。
 本調査会では、「国連の今日的役割」に重点を置いて第二年目の調査を進めてきたが、これは、世紀の節目である本年の国連ミレニアム総会など国際社会に向けて、日本の議会の立場からささやかな提言と情報発信を試みようとするためである。この中間報告書の取りまとめを踏まえて、更に委員間で検討し、本調査会の提言に向けた努力を精力的に行う所存である。