事務局からのお知らせ

参議院60周年記念論文入賞者



教え伝えること~私の大家族計画


宮崎県 宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校 5年
緒方 詞織

 国土37.7万平方キロメートル、人口1億2600万人。周りを海に囲まれた弧状列島、日本。豊かな自然に恵まれた私たちの国は、時代、時代の人々のたゆまぬ努力により驚くほどの発展を遂げました。そして、今もそれは止まることがありません。今を生きる人間によって、日本は変化し動き続けているのです。驚異的なスピードでの発展は、多くのものや情報を私たちにもたらしました。どの家庭にもあるテレビ、冷蔵庫、エアコンといった家電製品から、新聞やニュース、インターネットなどを通して流される大量の情報。これらは私たちの生活を豊かにしてくれました。
 しかし、たくさんのものや情報に囲まれて、私たちは本当に豊かになったと言えるのでしょうか。人間にとって、生きていくうえで大切なのはものや情報による豊かさだけではありません。形のない、精神的なものにも豊かさはたくさん見いだすことができるはずです。私は、古くから日本人が大切に教え伝えてきた伝統や文化にこそ心を豊かにするものがあると、自分の経験を通して確信しました。
 中等4年生の時に、「森の聞き書き甲子園」という活動に参加しました。これは、高校生が森林に関わる様々な生業をもつ「森の名手・名人」を訪ねて、その考え方や生き様を聞き書きするものです。私が出会った名人は、宮崎県の山懐・椎葉村に住む82歳と81歳の焼き畑農業を伝え続けるご夫婦でした。初めての取材の時から、私はご夫婦の森と共に存る生き方に感銘を覚え、深い尊敬の念を抱くようになりました。ご夫婦のなさること一つ、言葉一つ、どれをとっても私には新鮮で大切なものだったのです。
 「聞き書き甲子園」のまとめの活動として2006年3月にフォーラムに参加した私は、その場で少し気になる言葉に出会います。文部科学省の方がふいに敬意のことについて話し始めたのです。
「……名人の方々に対しての言葉が温かいですね。その言葉があれば安心です。」
続けて、名人の座られる椅子をさりげなく引く動作についても、「相手を敬っている証拠」とお褒めの言葉をいただきました。私にしてみれば、意識もせずに自然に発した言葉であり行動だったのですが、改めてそう言われることに軽い驚きと嬉しさがありました。それと同時に、一つの疑問と不安もわいてきました。私も含めた今の若い世代、十代の子どもたちは、相手に「敬意」を払うということが果たしてできているのだろうか、と。
 日本の社会構造は縦社会を基盤として成り立ってきました。目上・目下といった人間関係を大切にすることが社会生活の中で潤滑油となり、互いに居心地を良くしてきた、と言うことができるのではないでしょうか。その中で高齢者を人生経験の先輩として敬うということも特に意識することもなく行われてきたことです。私が名人から多くのことを学んだのと同じように、高齢者という人生の先輩から、ものの作り方から社会の仕組みに至るまで教えてもらい、それを伝統や文化として若者が敬意をもって受け継いで伝えていく。連綿と絶えることなく続いてきたこの流れが、今、どこかで滞っているのではないかと危惧の念を抱きます。日本が古くから受け継いできたこの流れを壊すべきではないと強く思うのです。
 今日、社会の超高齢化が語られ、実際に人口の半分以上が私たちより年上になっています。私の住む宮崎県の高齢化率は、65歳以上の人口の占める割合が23.5パーセントで、平成12年度からすると、2.5ポイントも上昇しています。こうした現状を考えると、自分より年上が多数を占める社会で生活を共にしていくことは将来的に避けて通ることのできない道となります。
 ところが、現実はそれと相反する生活スタイルが増えています。現在、祖父母と一緒に生活している家族がどれくらいあるでしょうか。ひと昔前まではどの家も二世帯、三世帯同居だったはずです。今、高齢者の一人暮らしが見られるようになり、核家族化は年々進んでいます。実際、私の家族も3年ほど前に祖父母と一緒に生活していた家を出ました。家が異なることにより祖父母と交わす会話の数も減りました。
 高齢化社会は進む、しかし生活のスタイルは核家族化している。つまり、今の日本は日常生活の中で自分よりも高齢の方との交流がなくなりつつあると言えるのではないかと思います。高齢者は周りにたくさんいるのに、高齢者は高齢者同士で、若者は若者同士で触れ合うことなく勝手に生活しているという姿に、どこか寂しさを感じるのは私だけでしょうか。触れ合いがなければ高齢者から何かを学ぶ機会もなくなり、例えば、相手に「敬意」を払うという日本人が大切にしてきたことも自然に身につくことはないでしょう。
 そこで、私は地域に家族を作ってはどうだろうか、と考えます。地域ぐるみで高齢者から小さな子どもたちまでが家族となり、子どもに日本人が古くから守ってきた伝統や文化を教え伝えることに力を注ぐべきです。
 私は、小学生の頃、地域の料理を祖母たちに教わりました。祖母の手はあっという間に庭の野菜をおいしい料理に変えていきました。祖母を尊敬の念をもって見つめることもできました。また、地域の高齢者に公民館でその地域に伝わる踊りを習ったこともありました。覚えた踊りを私たちは地域で発表し、次の年には小学校全体で取り組むまでになりました。結果として踊りを上手に踊れたことよりも、踊りを習う過程こそが大切だったのだと感じます。私もその中で高齢者から教わったことを、今度は同級生や下級生たちに「伝える」立場だったのだ、と気づきました。
 今、私が通う五ヶ瀬中等教育学校も地域に根づいた学校です。フォレストピア学習という独特の授業が最大の魅力といってもよいでしょう。この学習にも地域の方の力は欠かすことができません。前期生の頃に経験した田植え、茶摘み、草鞋作り、蒟蒻作り、野草摘み、山歩き、神楽、水の調査等々。後期生になると、その体験をもとに自分で発展研究を行います。先生は、学校の先生だけではありません。地域全体が私たちの先生です。地域の方々は私たちに大きな興味・関心を与えてくれました。私自身、現在も研究の真っ最中で、地域の方にお世話になることも少なくありません。フォレストピア学習は全国のどの学校にも負けない自慢できるものですが、それも地域の方が様々なことを教え伝えてくださるからこそできるのです。この学習によって、地域の方々と触れ合う機会はぐんと増え、私たちは相手に対する「ありがとう」の感謝の気持ちを敬意として表すことを自然と学んでいくこともできます。
 先にも述べたように、今の日本の社会は私たちにありとあらゆるものや情報を与え続けています。しかし、ものはもの、情報はあくまで情報です。与えられたものを有効に使い、情報を実体のあるものとして捉え利用しなければ無駄に終わってしまいかねません。ものが在り、情報だけが行き交うことだけに満足し、人と直接触れ合う体験を通してものごとを感じ取る場が減少していることはもったいないことです。体験の場こそこれからの私たちにとって必要なものであり、その受け皿になるのが「地域」です。「地域」で異世代間の交流が促進されれば、日本人が古くから教え伝えてきたことは次世代に確かに受け継がれていくはずです。もちろん「敬意」を表すことも。日本の伝統文化が教え伝えられなければ、それは日本の発展を阻むことにつながるかもしれません。
 日本語には「敬語」という相手を敬う心を表す素晴らしい言葉があります。その言葉を遣おうとする気遣いの心を「地域」という交流の場を通して育てていくことは可能です。私たちが求めさえすれば、「地域」は温かく迎えてくれるはずです。高齢者から小さな子どもたちまで、幅広く人と接し、体験を通して教え伝え合いながらコミュニケーション能力を育てていきましょう。そうすれば、日本は、相手の心を気遣い、古き良き伝統文化を大切にする心豊かな国になると思うのです。私の提案を一言で表すと、地域を巻き込んだ「大家族計画」とでも言いましょうか。
 これからの日本がどのように動いていくのか、それは私には想像もつきません。しかし、分かっていることが一つだけあります。私たち若い世代がこれからの日本を創っていかなければならないこと。地域を巻き込んだ「大家族計画」を実現するために、「地域」を大切にした教育の場が必要だと切実に思います。
 「森の聞き書き甲子園」2回目の取材に赴いたのは1回目から1ヶ月たった11月のこと。前回感じなかったプレッシャーにおそわれました。名人の方の60年余りの仕事ぶりに感動し、多くの方に知ってもらいたい気持ちはあったのですが、60年もの重みをきちんと伝えられるかどうか不安になったのです。そのとき、このプレッシャーが日本の未来を背負うものだと気づき、私たちがこれから取り組んでいく伝統文化を後の世代へ教え伝えることの責任の重さに身を震わせました。
 2回の取材を終えて名人の方と私の結びつきはより堅いものになりました。帰り際、タクシーの中から手を振る私と、それを見送ってくださる名人の方の顔にはどちらにも笑顔がありました。まるで自分の家族を見守るように私を見つめる温かい名人の方の瞳を、私は深い敬意をもって見つめました。日本の未来がなにものにも負けない、満面の笑顔であふれる素晴らしいものになるように、私なりに精一杯努力していきたいと決意しました。