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参議院60周年記念論文入賞者



私と看護師

兵庫県 神戸市立六甲アイランド高等学校 2年
宇都宮 彩佳

 今世界には1100万人の看護師がいると言われている。今年日本では43211人が看護師国家試験に合格している。
 今日、アフリカはエイズと闘っている。しかし、先進国はこの闘いに対する十分な援助体制をとっていない。一方では、このエイズとの闘いにおいて、大きな障害となっているのが医療、看護師、薬剤師など保健ワーカーの人材不足である。アフリカに限らず今世界中で看護師が求められているが、その反面医療ミスや医療事故がテレビや新聞でとりあげられているのをよく目にする。薬を誤って別の患者に投与したり、開腹手術をした女性の体内にガーゼを置き忘れたり…しっかりと確認すれば防げただろうミスによって起こる医療事故が医療現場では絶え間なく起こっている。
 他人ごとのようにテレビや記事に目を向けているが、身内に医療事故がおこると考えるととてもおそろしい。看護師はたった一つしかない大切な人の命を預かる仕事だ。決してミスは許されない。もしミスをおこしても、「次は気を付けよう。」と言う軽い気持ちではいられない。言葉で表せられないくらい看護師という職業は責任感のいる大変な職業なのだ。それでも私の将来の夢は看護師になることなのだ。
 私が本気で看護師になりたいと考えだしたのは中3の終わり頃だった。それまでは病院やテレビドラマなどで見て単なる憧れにすぎない職業だったが、親に言われたある言葉がきっかけでそれまで抱いていた美容師の夢が一気になくなり、私の夢は看護師にかわった。そのある言葉とは「看護師の資格を持っていたら便利やで。」という言葉。今考えると看護師の夢を持ったきっかけは単純だと思う。しかし、もしあの時両親がこの言葉を口にしていなければ今私は美容師の夢を持ち続けていたのかも知れない。
 確かに看護師という職業は何才になっても身体の許す限り続けられる。年老いた看護師の方が信頼できると言う患者もいるくらいだ。また、北海道へ行っても沖縄へ行っても看護師は必要とされている。もっと視野を広げて言うと看護師というのは世界中のどこへ行っても必要とされ、人々から頼られている職業なのだ。給料も女性では多いし安定している。産休などの時も給料はでる。就職率が低く、再就職が難しい不景気な今の時代にはとても良いのかもしれない。
 しかし私は、自分の将来の生活のためだけにこの看護師という職業に就きたいわけではない。今世界中には貧困に生きる人びとが数え切れないほどいる。その人たちを救いたい。
 「貧困」という言葉をきくことは、今の日本ではあまり無いから馴じみがない。しかし世界には、貧困の中で生きている人たちがたくさんいる。例えば、1日1ドル以下というわずかなお金で生きている人が約12億人もいる。日本円に換算すると1日116円以下で生活していることになる。コンビニのおにぎり一つ分である。もし私が貧困の中で生活するとしたら、1日ももたないだろう。また、1日約3万人、言い換えると3秒に1人、子どもが貧困によって死んでしまっている。
 前にも取り上げたように、エイズによって亡くなった人の数はすでに2000万人をこえている。分かりやすく言いかえると、すでに東京を上回る規模の都市が一つ、エイズによってなくなってしまったことになる。また現在エイズにかかっている人の数は世界で約4000万人である。
 風邪薬があるように、エイズにも薬がある。しかし今のところ、完全にエイズを治せる薬はないので、ずっと薬を飲み続けることが必要になる。エイズは薬を飲み続ければ死なないで済む病気だ。しかし貧しい人にとって、エイズの薬はとても高い値段なので飲みつづけることは難しい。  エイズの薬が発表されたのは1996年。それ以降もエイズで死ぬ人の数は毎年増えるばかりだ。エイズの薬が作られても、それを買うお金のない貧しい人にとっては、何の意味も無かったのだ。そんな人はエイズにかかると死んでしまう。そして、お金をかせいでこれる人がエイズで死んでしまうと、家庭はますます貧しくなる。家計を助ける両親をエイズで亡くした子どもは生活が苦しくなり、学校にも行けない孤児となるのだ。エイズは貧困を引き起こす大きな原因の一つである。
 「SALT」という言葉を聞いたことがあるだろうか。これは民間の非営利団体(NGO)である。この団体が対象としているのはフィリピンのケソン市、パヤタスの巨大なゴミ捨て場で働く子供たちだ。貧しいゆえに教育の場から遠ざけられ、その将来も無視されている子どもたちに就学の機会を提供しようと誕生した。「ゴミ捨て場で働く。」なんて今の私には信じがたいことだ。しかし、これが今の世界の現状である。この団体は国内外のNGOと協力しつつ、無料クリニックの運営、安価な医薬品の販売、健康診断なども行っており、やはり看護師は海外でも人のために活躍している。
 やはり、どれだけテレビや新聞、ラジオなどのマスメディアで取りあげられていても、どれだけインターネットなどを使って調べてみても、貧困で苦しんでいる人たちが大勢いることは今の私には理解し難い。
 私たちは住む家があり、あたたかく迎えてくれる家族がいて、一緒に遊んだり笑ったり支え合うことの出来る友達がいる。学校にも通えて、ご飯もお腹いっぱいに食べることが出来る。何不自由ない生活を送っているのだから。
 しかし私たちは、今の生活を「当たり前」だと思いすぎている。世界中には学校に行きたくてもお金がなかったり、学ぶ校舎がなかったり病気だったり…。色んな事情で学校へ行き、学ぶことの出来ない子は沢山いるのだ。空っぽのお皿を持った骨が見えそうなくらいに痩せこけている子供たちの写真を見たことがある。そんな子供たちの写真を誰でも一度は目にしたことがあるだろう。そんな写真を撮りつづけ、世界の現状を伝えているカメラマンは日本にもたくさんいる。食事制限をしたりしてダイエットをしている私にとって、それらの写真は信じがたい光景ばかりである。
 私はあることに気付いた。それは、写真にうつっている子どもたちの笑顔はとても輝いているということだ。しんどいはずなのに、苦しいはずなのに、何でそんなに笑顔でいられるのだろうか。私は写真を目にする度いつも疑問に思う。しかしその反面、世界中には笑顔のない子どもたちも沢山いる。どうしようもないくらいにお腹が空いていて、笑顔を失ってしまった子。親を亡くして孤児となり笑顔を失ってしまった子。病気で苦しんで笑顔を失ってしまった子。上げたら切りがないくらいそれぞれ色んな理由で笑顔を失ってしまっているのだ。私は子どもの笑顔を見るのが大好きだ。笑顔のない子どもの顔にきらきら輝く笑顔をつくってあげたい。そして世界中のみんなが笑顔でいられて、笑顔であふれる地球にしたい。看護師という職業であれば、この夢もかなえれるのではないだろうか。
 私は看護師になったら小児科病棟で働きたいと思っている。私は子どもが大好きだし、子どもたちに沢山の笑顔を与えたいからだ。「子ども」という時期は毎日学校に行き、友だちとサッカーをしたり野球をしたりして遊びまわれる。人生の中で一番色んなことに挑戦でき、自由でやりたいことはある程度できる時期だ。友だちとケンカもしたり、人間性を一番みがくことの出来る時期だ。私はそう思っている。そんな大切な時期を病院のベットを上ですごさねばいけない子どもたち。そんな子たちを少しでも私自身の手で元気にしてあげたい。
 実際に私は入院したことは今まで一度もない。たいした病気にもならず、風邪にもかからず、病院とは全く無縁の健康な子どもだった。しかし私の年子の弟は、喘息で幼い頃何度も入院と退院をくり返していた。腕には点滴がささっていて、ベットの上での生活だった。お見舞いに来る人がいない時は一人ぼっちだった。移動する時は大きな点滴を転がさなければいけなかった。
 私はほぼ毎日のように学校がおわると弟のお見舞いに行っていた。だから私は小児科病棟というものを少しは理解しているつもりだ。しかし所詮「つもり」なだけだ。私の知らないような事も沢山あるだろう。しかし、どれだけ看護師が大変な仕事だとしても、人助けをする上で「しんどい」なんて思わないはずだ。人の命を救える。それは本当にすばらしいことだ。
 前に「病院で見て憧れていた」と書いたが、それは弟のお見舞いに行っている時に、そこで働いている看護師さんを見て憧れたのだ。弟のベットの頭の上にある大きなコルクボードには、折り紙で作られた動物や花がたくさん貼られていた。それらは弟が淋しくないように看護師さんが作ってくれたものだ。本を読んであげたり一緒にお絵描きをしたり。看護師さんはいつも弟を笑顔にしていた。本気で看護師になろうと決めたのは中3の終わりだが、幼い頃から間近で看護師の働く姿を見て、心のどこかでは看護師にずっと憧れていたのだろう。
 私は高校を卒業したら看護大学に進学したいと思っている。今の私にはレベルが高すぎるかも知れない。しかし今どう頑張るかで、ずっと抱き続けて来た「看護師」という夢を叶えられるか、単なる夢で終わるのかが変わる。私はこの夢を夢なんかで終わらせたくない。そのためにも今出来ることはしっかりとやりたい。
 「笑顔であふれる地球」をつくりたいから。