事務局からのお知らせ

参議院60周年記念論文入賞者



食で育てる健やかな未来

静岡県 静岡県立磐田農業高等学校 2年
伊奈 真由実

 糖尿病、脳卒中、高脂血症、心臓病、高血圧、肥満などの生活習慣病。これらは、「生活」「食」のリズムが狂ってきている現代で、徐々に増加傾向にある深刻な問題です。将来の日本を考えると、これらの病気を減らしていくことは、とても重要になってくるでしょう。「医食同源」という言葉があります。これは、病気を治療することも、日常で食事をするのも、生命を養い、健康を保つのに必要なことであり、源は同じであるという意味の言葉です。しかし、現代の私たちの食生活はどうでしょう? ファーストフード店、24時間営業のコンビニエンスストア、街に点在するファミリーレストラン。これらは、私たちの生活に「手軽さ」「便利さ」などの「余裕」を呼び込んでくれるものです。もはや仕事や家事、学校や塾に追われる現代人にとって、なくてはならない存在と言っても過言ではないでしょう。しかし、それらのものが、生活習慣病を招いてくるという事実も、もう多くの人が知っていることです。これからの日本を健康で、生き生きとした社会にするために、それらの現実とどう向き合っていくか。私たちは、それを考えなければいけない時期に来ているのだと思います。
 果たして、今私たちが消費者として食品に求めているものはなんなのでしょう?そう問えば、おそらくこんな答えが返ってくるのではないでしょうか?「安い」「美味しい」「手軽」「見た目がいい」「安全」。それはきっと、誰もが求めることだと思います。それらの条件を満たすものがあるなら、私自身も喜んでそれを買うと思います。しかし、そのように都合のいいものが、必ずしも私たちの身近にあるわけではありません。
 以前私の学校に、食品添加物の元トップセールスマンで、添加物の神様といわれている、安部司さんをお招きして、講演をしていただいたことがあります。そこで聞いた食品の裏側の世界はとても衝撃的なものでした。例えば、家で作ればご飯と少量の塩、梅干などの具だけで出来るおにぎりですが、コンビニエンスストアで売っているおにぎりは、日持ちを良く、また見た目を良くするために、そこに約10種類以上もの添加物が加えられているということ。また、ファーストフード店などでも、それらの添加物は多く使われているということ。幾度もコンビニエンスストアやファーストフード店を利用していながら、私はそんな事実すら知らなかったのです。しかし、将来の日本を担っていく若い世代ほど、それらの店の利用率が大きいのではないでしょうか? 自分の体に害を及ぼす食品をわざわざ選んで食べ、ボロボロの体を引きずって、この日本を背負っていくのでしょうか?
 しかし、添加物の全てが悪いものである、ということではありません。現に、私たち日本人が良く口にする豆腐も、「にがり(塩化マグネシウム)」という添加物を使わなければ作ることが出来ないのです。それだけではありません。添加物のおかげで、私たちの暮らしが便利になっているというのも、変えようのない事実なのです。しかし、その中には確実に私たちの体に害を及ぼすものもあります。「安い」「美味しい」「手軽」「見た目がいい」など、これらのことは私たち消費者にとっても嬉しいものです。しかし、これらの利点が必ずしも、「安全」を伴うわけではないのです。私たち消費者のニーズに応えるために、何が製造の現場で行われているか。そして、添加物というのはどんなものなのか、そして体にどういった害を及ぼし、どのような利点を持っているのか。それをよく理解し、そこから知っていくことが、食と向き合うきっかけとなっていくのでしょう。
 多くの人がすでに知っているように、合成着色料は発がん性があります。そして、その危険性が囁かれるようになってから多く使われるようになったのが天然着色料です。しかし、皆さんはこれが何から出来ているかご存知ですか?例えば緑色の天然着色料。これは、草を主食とする蚕の糞から作ったものです。赤色の天然着色料は、サボテンに寄生する虫の、死骸から作ったものです。
 このように、私たちの知らない所で使われている添加物。それが、私たち日本人の味覚を少しずつ壊していくのです。いまや海外にまで認められている、日本人の健康的な日本食。それが今、私たち日本人の味覚から崩壊していこうとしているのです。しかしその崩壊は、私たち消費者がほんの少し意識を高く持ち、原材料を記載しているラベルを意識して見るようにすれば、少しずつでも止めることが出来るのです。それをせず、「便利さ」「美味しさ」に甘んじているのは、消費者である私たちの責任でもあります。その責任をこのまま放棄し続けていれば、家族で囲むこの幸せな食卓までもが、壊れ、失われていくのです。しかし、その責任が全て消費者にあるのかといえば、それも違うでしょう。加工食品の表示についての細かい決まりは、私たち消費者には理解できないところが多く、ほとんど知らないというのが実態です。その決まりの中には、明らかに生産者にとって都合のいいものも存在します。例えば、多くの添加物を使用していても、それを一括して表示していいという決まりの一括表示。調味料として、多くの添加物を使っていたとしても、「調味料(アミノ酸等)」と書けば、それだけで済んでしまうのです。こうなってしまえば私たち消費者は、自分が何を口にしているのか、知ることさえままならないのです。生産者側も私たち消費者に悪いイメージを与えることなく商品を売ることが出来てしまいます。この問題を解決していくために、この表示についての決まりの改善や、更に詳しい消費者への情報提供が必要なのではないでしょうか?
 食品の問題は、それら加工食品だけではありません。私たちの食卓を飾り、健康を支える上で重要な役割を果たしている野菜。それにすら、私たちの意識の低下から、問題が起こっているのです。その代表的なものがまず、農業の後継者不足だといえるでしょう。
 スーパーの野菜コーナーに行くとよく、「減農薬」「無農薬」などの文字を見かけます。その文字を見ると、「これは安全なんだ」「これは体に良さそう」などと思い、一度はその野菜を手に取ってみます。しかし、国内産無農薬野菜となると値も張ります。隣の外国産の野菜と見比べて、思わずその国内産無農薬野菜を棚に戻し、隣の外国産野菜をカゴに入れてしまう人もそう少なくはないでしょう。つまり、外国産野菜の「安さ」に、日本産野菜の「安全さ」「美味しさ」が負けてしまっているのです。こうなってくると、生産者の利益、そして日本農業の規模も変わっていってしまうでしょう。そして前に挙げた後継者不足の問題。このままでは、日本の農業、そして安全な食卓は、本当に消え失せてしまうでしょう。
 「顔の見える農業」。この言葉を耳にしたことのあるひとはたくさんいるでしょう。これは「消費者の安心」の為だけにあるものではないと思います。私たちが何気なく口にしている野菜。その向こうに、苦労して安全な野菜を育て、それを私たちに送り出してくれている「生産者」の姿があることを、私たち消費者は決して忘れてはいけないのだと思います。「生産者」と「消費者」。この関係は、「食」と「生命」と同じように、切っては生きていけない関わりです。ですから、この係わりを絶やさないように社会全体が協力し、農業の後継者を輩出していかなければならないのではないでしょうか? その責任を放棄して、生産者が送り出してくれているものを「ただ食べるだけ」「ただ消費するだけ」。 そんな関係を続けていれば、私たちの「食」は崩壊し、私たちの「生命」までもが危ぶまれるでしょう。しかし、その意識が足りないばかりか、「日本の農業は、高齢者に任せておけばいい。」と唱える人まで現れています。しかし農業の仕事は、私たちが考えている以上に過酷なものです。ただ畑を耕し、種をまき、水をやって育て、収穫すればいいというものではないのです。私は幼い頃から、初夏には祖父の茶園に行き、お茶摘みの手伝いをします。「収穫」という、「生産」の中の一部分の仕事ですが、それだけでも相当な労力を必要とします。しかし、農業というのは、ただ収穫できればいいというわけではありません。一年中気を遣い、一年中農作物と向き合っていく仕事なのです。茶の木の剪定、必要に応じた施肥、天候や気温を見ながらの保水・保温・防霜対策、一時として気の抜けない病害虫の駆除。これらのように、多くの作業があるのです。このように、体力・気力とも必要な仕事だからこそ、若者の力で手助けをしていかなければならないのです。そしてその作業や技術を受け継ぎ、大切に伝え、残していくことが、今の日本の農業に必要なことだと思うのです。高齢者だけの農業ではなく、高齢者と若者が力を合わせて「食」を支え、健康な「人々」を作り、そしてその人々が「健康な日本」を支えていくのです。
 私たち人間が生きていくためには、何かを摂取するという動作は必ず必要なことです。しかし現代では、自分が食べるもの全てを自分で作るというわけにはいきません。だから「作る人間」、「売る人間」、そして「消費する人間」がいるのです。その中の一つでも欠けてしまえば、私たちは上手く生きていけません。ですから、まずそのサイクルの中で自分が生きているということを自覚し、自分は何をすべきかを考えていくことが大切なのだと思います。そして健康で美しい未来を作るため、その礎となる健康な人間を「安全で美味しい食」で育てていける社会を築くことこそ私たちの夢であり、課せられた役割として実現したいと思います。