事務局からのお知らせ

参議院60周年記念論文入賞者



意志を継いで

大阪府 清風南海中学校 2年
永田 香穂

 昨今の日本はあまりに多くの問題に直面しているように思います。今の今まで見て見ぬふりをされてきた問題もいよいよ隠しきれなくなりあたかも水のように溢れだし、日本や世界といった名だけの「器」では小さすぎて収まらず、地球全体に染み出しているように思えてなりません。私はこのままでは美しい水の星である地球が、水から生まれた私達が恩を仇で返すように作りだした毒水に覆われて枯れてしまうのではないかと危惧しています。
 ところで、「慣れ」を怖いと思ったことはありませんか。未知の突然起こった事柄に対しては驚きや興味、場合によっては怒りや嘆きを覚えたとしても同質の事が幾度も繰り返されるうちに当事者以外の人間は日常としてそれを受け入れていると感じます。…例えば環境破壊や日米関係、果てはテロや戦争、自殺やいじめといった命に関わるものまで今の私達はもう慣れてしまい腹を立てる気力すら萎えてしまっているのではないでしょうか。
 しかし、これらの問題が表面化してきた今、私達は「慣れ」という膜(ベール)を破り、自らの力で毒水を浄化しなければならないという課題を負っています。
 そして、数えきれない程の問題の中でも私が一番心に懸けているのは高齢化についての問題です。その他(ほか)の問題に対して私はどうしても自分自身の問題として実感が沸かずわかってはいても他人任せにしてしまっていました。しかしこれだけは私にとってそうはいかないのです。今まさに深刻化しているこの問題にはお年寄やその周りの人々、本当に多くの生活がかかっていることに最近やっと気付いてきました。
 まだ社会的に子供の私は「家」か「学校」の約2箇所に生活範囲が限られています。どちらも本当に大切な失いたくない居場所なのです。そしてそのうちの一つ「家」での生活の中の大切な一部分を私は祖父母と過ごしています。
 私は幼い頃からおじいちゃんとおばあちゃんが大好きで毎日のように遊びに行っていました。ゴミや輪ゴム等で遊びを教えてもらったり、3人で遊園地や旅行にも行ったりしました。私が少し大きくなると両親の話や親戚の話、世相についてや戦前・中・後の日本の話を、聴いていて嬉しくなったり悲しくなったりする掛替えのない知識として話してくれました。
 私は、強靭なものの一つとして言葉を意識するようになりました。書物が黄ばみ、遺物が朽ち、枯れてしまっても言葉があれば意思は伝わっていくはずだ、と。正解とか間違いとかとは関係なくこの考え方を自分で持てたことを誇りに思うことができますし、自分で考える為に必要な知識を与えてくれた祖父母にも感謝しています。
 感謝し、また尊敬している祖父母達お年寄がないがしろに扱われている事件を聞くと本当に悲しくなります。お年寄を騙す詐欺や年金制度や社会保障などの問題が放置されています。
 しかし私は幸運にも素敵なことを知りました。ある日、ニュースで店員がみなさんお年寄のコンビニエンスストアが紹介されていたのです。そこではお年寄の方も安心且つ安全に買い物できると評判で、万引きなども殆ど無いそうです。他にもお年寄の劇団が流行(はや)っていることも知りました。90才くらいの方が「第二の人生をエンジョイしています。」と照れ笑いをしているのを見たときは心が軽くなりました。どの方の顔もいきいきとしていて美しかったです。「老い」を辛いことだと思ってしまう私には、眩しくて羨ましくて…少し恥ずかしくなりました。自分の力で人生を切り開く意志の逞しさ、力強さ。私達よりずっと格好良くないですか。
 恐らくこれからもまだまだ他の問題と共に高齢化問題は進むでしょう。お年寄や、私達自身にも大きな負担が伸し掛(の か)かってくるはずです。
 しかし、その時こそ私達は思い出さなければなりません。脈脈と継がれてきた意志を。昔、『未来のため』と死んでいった人々のこと。『子供のため、孫のため』と血の滲む思いで働いてくださった人々のこと。その上に今の『豊かな国』と呼ばれる日本は成り立っていることを。この国を育ててくれたのは今のお年寄だということを。焼け野原にビルをうち建てたことと比べれば、高度な技術を持つ今、毒水を浄化することなんてた易く思えませんか。
 私達は先祖からの意志を継ぎ、守り、伝え続けなければなりません。今を懸命に生きるお年寄、そして私達自身、何より次の子供達のためにも。お年寄の方が「そうそう、こういう国を創りたかったんだ。」と喜んでくれる国にするためにも。
 そしていつか年老いても一生懸命生きていると胸を張ることができるように、
「昔、いろんな人が頑張って今の日本があるんだ。私達も頑張った。だからあなた達も頑張って生きなさい。」
堂々と、穏やかに微笑みながら伝えることができるように生きていきたいです。