事務局からのお知らせ

参議院60周年記念論文入賞者



優しい光を

大阪府 大阪教育大学附属池田中学校 3年
田渕 沙貴

 私には3才年の離れた健太という弟がいます。私はこれからの日本が弟にとって過ごしやすい国であること、弟が生きる希望を失うことのない国であることを願っています。
 健太は生まれた時から重度の脳障害・右半身マヒ・先天性プロティンC欠損症(血液が固まってしまう病気)等の障害をもっています。そして生まれた時から全く目が見えません。私が健太と初めて会う事ができたのは、健太が生まれた3ヶ月後でした。私が健太に会うまでの3ヶ月間、父と母は病院に通いつめて健太を育てていく覚悟を決めました。
 健太の抱えている病気は全世界で30例程しかない希有なものです。そしてそのどの症例をとっても治療法が見つからぬまま、ほとんどの方が幼児期に亡くなっています。
 現在は多くの医師・看護師の方に助けられ、毎日の投薬・週3日の通院での点滴でどうにか元気に過ごす事ができています。
 健太は今養護学校に通っています。まだ歩行が困難なので車椅子を使うことがほとんどです。
 そこで私はこれからの日本に必要と考えること、望むことがあります。
 つい最近施行された「障害者自立支援法」ですが、私は当初その法律に対し賛成でした。障害を持つ方の中にも、障害者手帳による様々な優遇をより受けようと障害の級を重く申請してしまう方や、働く年齢になった障害をもつ方の家族が支えていく自信を無くし施設に入れてしまう様なケースがある事を知っています。私はいつもこう考えます。
 「健太に比べたら、どの方も軽い障害なのに。どうしてもっとできる事があるにも関わらず、できる事の幅を制限してしまうのか。健太よりも、もっとずっと大きな希望が見えているのに。」
 私はこの「障害者自立支援法」が、障害者にとって世の中に出ていく夢の切符となるのではないかと思い賛成でした。
 しかし、現実にその法律が制定されてから私達の生活に様々な問題が生じました。
 まず、毎月あった特別児童扶養手当(障害をもつ家庭の負担を助ける為支給されるお金)が無くなりました。それにより健太の生活に必要な紙オムツや介護のための日用品を買うことが今までよりも負担になりました。
 また、今まで保険や国から降りるお金で買うことができていた車椅子や歩行の為の装具(普通のくつの様にはく義足のようなもの)が買えなくなりました。これからぐんぐん成長していくにつれて、買い替えが必要なだけに大変不安です。
 そして現在は毎日の薬や医療費も全額自己負担にはなっていませんが、この先どうなるか分かりません。もし全額自己負担になってしまったなら、年に何千万もの医療費が必要になります。
 「障害者自立支援法」はある方面ではとても良い所もあれば、障害者・障害者をもつ家族にとって多くの不安を残す所も見られるのではないかと思います。
 政治を行っているみなさんには、もっともっと実際の障害者の方の姿を知ってほしいです。障害をもつ方がすべて同じではないのです。一人一人抱える問題は大きく違います。そのすべての人の声を聞いて、より障害者が生きやすい日本にして下さい。もっとたくさん障害者が輝ける場所を与えて下さい。
 健太は見かけは普通の男の子とさほど変わりがありません。しかしそれは見慣れた私がそう思うだけで他の人から見ると、やはり違って見えるかもしれません。
 人ごみに行けば大きな車椅子は“じゃま”であり、静かな所に行けば健太の発する言葉は“意味の分からない奇声・うるさい”、小さな子供は健太を見れば好奇の目で見るか、恐れて離れて行く子がほとんどです。
 今でも大人・子供問わず、健太に対する偏見の目はあります。私はそれがとても悲しく思います。どうして障害者の人をそんな風に怖がってしまうのか、分かってあげようとしないのか。私は健常者の方すべてに障害者のことを理解し、その苦しさ辛さを分かった上で、彼らを愛してほしいと思っています。
 今の私は健太がいなければ有り得ませんでした。健太の笑顔や、一生懸命に一日一日を生きている姿を見ると励まされます。健太は一生私の顔を知る事はないでしょう。でも、目に見える物だけがすべてではないと信じています。私はこれからも健太と支え合って生きていきます。多くの苦悩や困難を乗りこえてきた姉弟の絆は、私の宝物です。
 「美しい日本」――私は障害をもっている、もっていないに関わらず、すべての日本人が支え合う社会になってほしいです。
 「優しい国」。それこそ私が夢見るこれからの日本の姿です。